何にかなる、とかくは檜舞臺と見たつるもをかしからずや、垢ぬけのせし三十あまりの年増、小ざつぱりとせし唐棧ぞろひに紺足袋はきて、雪駄ちやら/\忙がしげに横抱きの小包はとはでもしるし、茶屋が棧橋とんと沙汰して、廻り遠や此處からあげまする、誂へ物の仕事やさんと此あたりには言ふぞかし、一體の風俗よそと變りて、女子《おなご》の後帶きちんとせし人少なく、がらを好みて巾廣の卷帶、年増はまだよし、十五六の小癪なるが酸漿《ほゝづき》ふくんで此|姿《なり》はと目をふさぐ人もあるべし、所がら是非もなや、昨日河岸店に何紫の源氏名耳に殘れど、けふは地廻りの吉と手馴れぬ燒鳥の夜店を出して、身代たゝき骨になれば再ム古巣への内儀《かみさま》姿、どこやら素人よりは見よげに覺えて、これに染まらぬ子供もなし、秋は九月|仁和賀《にわか》の頃の大路を見給へ、さりとは宜くも學びし露八《ろはち》が物眞似、榮喜《えいき》が處《しよ》作、孟子の母やおどろかん上達の速やかさ、うまいと褒められて今宵も一廻りと生意氣は七つ八つよりつのりて、やがては肩に置手ぬぐひ、鼻歌のそゝり節、十五の少年がませかた恐ろし、學校の唱歌にもぎつちよんちよん[#「ぎつちよんちよん」に傍点]と拍子を取りて、運動會に木やり音頭もなしかねまじき風情、さらでも教育はむづかしきに教師の苦心さこそと思はるゝ入谷《いりや》ぢかくに育英舍とて、私立なれども生徒の數は千人近く、狹き校舍に目白押の窮屈さも教師が人望いよ/\あらはれて、唯學校と一ト口にて此あたりには呑込みのつくほど成るがあり、通ふ子供の數々に或は火消鳶人足、おとつさんは刎橋《はねばし》の番屋に居るよと習はずして知る其道のかしこさ、梯子のりのまねびにアレ忍びがへしを折りましたと訴へのつべこべ、三百といふ代言の子もあるべし、お前の父さんは馬だねへと言はれて、名のりや愁《つ》らき子心にも顏あからめるしほらしさ、出入りの貸座敷《いへ》の祕藏息子寮住居に華族さまを氣取りて、ふさ付き帽子面もちゆたかに洋服かる/″\と花々敷を、坊ちやん坊ちやんとて此子の追從するもをかし、多くの中に龍華《りうげ》寺[#「龍華《りうげ》寺」は底本では「龍華寺《りうじ》」]の信如《しんによ》とて、千筋《ちすぢ》となづる黒髮も今いく歳《とせ》のさかりにか、やがては墨染にかへぬべき袖の色、發心《ほつしん》は腹からか、坊は親ゆづりの勉強も
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