糖さへ甘くすれば十人前や二十人は浮いて來よう、何處でも皆な左樣するのだお前の店《とこ》ばかりではない、何此騷ぎの中で好惡《よしあし》を言ふ物が有らうか、お賣りお賣りと言ひながら先に立つて砂糖の壺を引寄すれば、目ッかちの母親おどろいた顏をして、お前さんは本當に商人《あきんど》に出來て居なさる、恐ろしい智惠者だと賞めるに、何だ此樣な事が智惠者な物か、今横町の潮吹きの處で※[#「飮のへん+稻のつくり」、第4水準2−92−68]が足りないッて此樣やつたを見て來たので己れの發明では無い、と言ひ捨てゝ、お前は知らないか美登利さんの居る處を、己れは今朝から探して居るけれど何處へ行たか筆やへも來ないと言ふ、廓内《なか》だらうかなと問へば、むゝ美登利さんはな今の先己れの家の前を通つて揚屋町の刎橋《はねばし》から這入つて行た、本當に正さん大變だぜ、今日はね、髮を斯ういふ風にこんな嶋田に結つてと、變てこな手つきして、奇麗だね彼の娘《こ》はと鼻を拭つゝ言へば、大卷さんより猶|美《い》いや、だけれど彼の子も華魁《おいらん》に成るのでは可憐さうだと下を向ひて正太の答ふるに、好いじやあ無いか華魁になれば、己れは來年から際物屋《きはものや》に成つてお金をこしらへ驍ェね、夫れを持つて買ひに行くのだと頓馬を現はすに、洒落《しやら》くさい事を言つて居らあ左うすればお前はきつと振られるよ。何故々々。何故でも振られる理由《わけ》が有るのだもの、と顏を少し染めて笑ひながら、夫れじやあ己れも一廻りして來ようや、又後に來るよと捨て臺辭して門に出て、十六七の頃までは蝶よ花よと育てられ、と怪しきふるへ聲に此頃此處の流行《はやり》ぶしを言つて、今では勤めが身にしみてと口の内にくり返し、例の雪駄の音たかく浮きたつ人の中に交りて小さき身躰は忽ちに隱れつ。
揉まれて出し廓の角、向ふより番頭新造のお妻と連れ立ちて話しながら來るを見れば、まがひも無き大黒屋の美登利なれども誠に頓馬の言ひつる如く、初々しき大嶋田結ひ綿のやうに絞りばなしふさふさとかけて、鼈甲《べつかう》のさし込、總《ふさ》つきの花かんざしひらめかし、何時よりは極彩色のたゞ京人形を見るやうに思はれて、正太はあつとも言はず立止まりしまゝ例《いつも》の如くは抱きつきもせで打守るに、彼方《こなた》は正太さんかとて走り寄り、お妻どんお前買ひ物が有らば最う此處でお別れにしまし
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