賑《にぎはへ》る也。此の市立《いちたて》には禳災《やくはらひ》と稱し、餅を賣るもの多し。厄年の者これを求めて身體を撫で爾後これを小※[#「くさかんむり/大/巳」、174−14]《つじ》に捨つるを風《ならひ》とす云々。」とある。これは夷神の除禍招福の思想が岐《くなど》神・道祖神の信仰と結びついたものと思はれるが、市場の舊趾に就いては同書に、「戎社の西傍にあり。」と出てゐる。之等の記事を見れば最早寸毫も疑ふ餘地はない。市村字三條の附近は淡路全國の市場で、恐らく上古物資集散の中心地となり、物々交換の爲の大きな市が立つた處であらうと思はれる。尚また名所圖會は廣田村中條の蛭子社に就いて、「里人云、當社は古は頗る大社にして莊嚴なりしかども、天正中回祿にかかりてより今の如く僅の小社となれり。此地名を市場といふ。按に古此所において市を立てしなるべしとぞ。」と云つてゐるから、市村に中心の大市があり、各村にはまたそれぞれ小市が設けられたことが之れに依つても察せられる。
西宮の傀儡がどうして淡路の産所に定住したか、と云ふ疑問を私はここでもう一度取りあげよう。それは淡路の代表的な市がここにあつた。そして市に
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