張り後代の習合であつて、兩部神道では八幡大菩薩と呼ばれ、必らずしも最初から左樣に信じられてゐたのではないことを示してゐる。八幡大神の最も代表的な九州の宇佐八幡も最初は地方的な神であるに過ぎなかつた(萩野由之博士)。それが聖武天皇の東大寺大佛御造營に當つて、この八幡の神助を乞はれ、東大寺鎭守として勸請されたので、これ以來始めて宇佐八幡と中央文化圈との關係が生じたのである。然るに柳田國男氏が炭燒長者傳説を闡明して炭燒小五郎の物語の起原が宇佐八幡の最も古い神話であるとされた處から(「海南小記」)土田杏村氏は、宇佐八幡を聖武天皇が勸請されたのは大佛造營に必要な金及び銅を得んが爲めであつたとしてそれを柳田氏の説に結びつけて、宇佐八幡は採鑛冶金の民の神であると考へた(「上代の歌謠」)。之れは誠に興味深い着眼點であると思ふ。
 然しながら茲で更に今一つ考へなくてはならぬことは夷三郎神が海に關係があつたやうに八幡神も矢張り海に關係があると云ふ點である。その著しい例は宇佐八幡の細男《セイノウ》で、之れは筑紫の風俗歌舞らしい(小寺融吉氏)が、その起原に就いて、太平記卷三十九に記された俗傳に依ると、神功皇后
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