立したのではあるまいか。然もこの淡路の傀儡子は祝言遊藝ばかりでなく、巫倡の業をも行つたらしいことが記録されてゐる。淡路國名所圖會卷之五に、「南光。同(鮎原)南谷村にあり、西村の境也。則土地の畝號によべり。此地は傀儡子の魃首《かしら》小林六太夫と私稱して其徒居住す。世俗此|畝號《あざな》を用て南光部《なんくわうぐみ》とよぶ。其婦妻のものは死靈の占《うらかた》を業とす。是をたたき神子《みこ》といふ。梓神子《あづさみこ》のたぐひなりとぞ。」とある。即ち小林六太夫の操座では男子は人形を舞はし、婦女は巫子《みこ》となつて占卜をしてゐた。之れは恐らく非常に古くから彼等の取つてゐた生業《なりはひ》だつたのであらう。巫倡の徒が上古以來特殊な部落を作つてゐたことは史上に明かである。若し自由な想像を許されるならば彼等は最初おしら神系統の信仰を持つた巫女が主體であつたのが、後そのおしら樣が人形として發達した時、傀儡子と巫子とに分れ、傀儡子には男子が當つて、各地方に出歩くと云ふ分業が生じたとも考へることが出來よう。これは誠に興味の深い問題であると思ふ。
 然らば何が故に傀儡子は西宮と淡路の産所にその定住の地を
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