美に依ってのみ動く。人間は人形の命ずる処に従って人形を動かしているのに過ぎない。指一本動かすのも人形自身が動かさせているのであって、人間自らがその意志でこれを動かしているのではない。何故ならそこの世界では完全な美が一切を支配する絶対の法則であり、その美は人形自身に属して居る。人間は少しもそれにあずかる処がないからである。
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人形芝居の美は人形の持つ美がその主体をなしている。それは静的の美である。人形は動いている時にも尚そこに常に或る静寂の要素を持つ。
人形は永久に沈黙の衣を纒う。
人形は語らない。然し人形は歌う。それは「沈黙の唄」である。だから人形芝居にお喋べりを持ちこむ程失敗に導かれる時はないだろう。
人形の言葉は音楽である。人形の世界はあらゆる概念的なものを排斥する。そこでは唯純枠感情と完全な叡智即ち最も具体的な意志のみが呼吸することが出来る。それ程そこの空気は軽く澄み切って、清浄である。そして音楽のみが言葉を純粋感情に変形することが出来る(或は音楽に於てのみ純粋感情が自分を直接に表示する事が出来る)。そこに言葉の燿変がある。
人形の動作《アクション》は静寂を生む。動きのなかの静、静のなかの動きであり、静と動との同時存在である。それは独り最も高い、完成された舞踊のみが之れに近似する。そこでは静止《ポーズ》は静止そのものが内部的に情熱の燃ゆる焔となり、運動《ムウヴマン》は動きそれ自身が輝く金剛石《デイヤマン》となるであろう。
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人間俳優の創造する世界は大きくても浅い。人間俳優の創造する世界は小さくても深い。然もこの人形の小さい世界はその深さに於て、その深さの奥に於て無限に広く大きい永遠の世界に直接つながっている。人形の持つ小さな世界は、絶対的な真理の世界に向って開かれた一つの窓であると云うことが出来る。
その意味からこの小さな世界人の生活するのに最も適わしいのは童話の世界である。なぜなら童話の世界は神話の世界の小さな兄弟であって、それは神話としっかり手をつないでいるからである。
神話は人間の最も根原的な創作力の活動であり、顕現である。それは原始文化時代から人類の生活を支配した処の、人間世界それ自身が内部的に持っている統制力である。それが創造力となって具体化し、生活を支持し、且つ導いたのである。
そこに神話と伝説との
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