明かな相違点が見られる。伝説は生活を説明せんが為に作り出された一つの図式の如きものであり、知識的に考えられた生活の整理である。
之れに反して童話は神話と同じ力から神話の後に生み出されたもので、伝説の如く間接的なものではない。矢張り生活の直接的な創作力の現れである。そして神話が人間の生活を統制し秩序づけたようにそれは幼童の生活を支配し、導く。
童話と人形とは必然にピッタリと融合する。童話の世界を正しく最も具体的に表現して見せることの出来るものは人形を措いて他にはない。
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人間芝居は人間の喜怒哀楽の五官の感性を超越している。従ってそこには人間的な意味に於ける悲劇も喜劇も起らない。あるのは唯人類に対する運命的な啓示のみである。
それは「|神聖な喜劇《デイヴイナ・コメデイア》」でもなく「人間喜劇《コメデイ・ユメエヌ》」でもなく、実に「|神々の喜劇《コメデイ・デイヴイニテ》」である。即ち神それ自身、それは人間の永遠なる像《すがた》に於けるその神々の悲劇喜劇である。
人間は幸福を求める。幸福は神のものである。然もその神は永遠の像に於ける人間であるとすれば、幸福は本来人間固有のものである。只そこに永遠の像に到達すべき間の距離がある。が然し必らずそれは最後には何人も到達し得るであろう。
かくて人形芝居の主人公は童話の世界へ旅立つであろう。この旅は現在の刹那から永遠の現在への距離を時間的に見て、之れを空間的な距離に置変えたのであり、主人公が旅中に出会う様々の不幸や障害はこの非時間的距離を外的事件の障害に変形したものである。
それは象形文字《イエログリイフ》で書かれた処の人間生活史と見るとことが出来るであろう。
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人形は知識を得た人間に貶しめられ、権威と勢力を奪われ、沈黙のなかにとじこめられて、哀れにも小さく退化した巨人《チタン》族の後裔である。
底本:「日本の名随筆 別巻81 人形」作品社
1997(平成9)年11月25日第1刷発行
底本の親本:「竹内勝太郎全集 第二巻 芸術論・宗教論」思潮社
1968(昭和43)年1月
入力:浦山敦子
校正:noriko saito
2008年5月24日作成
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