一円本流行の害毒と其裏面談
宮武外骨

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[表記について]
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あらためた。
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著作界の売名家、奇人変人中のニセ悪人
雑学大博士 外骨先生著 近来にない簡潔犀利の力作

一円本流行の害毒と其裏面談

熱烈の筆 痛快の論 辛辣と皮肉 好謔と善罵
拍案拍掌 愉絶壮絶 溜飲の薬にもなる
(一冊定価金タッタ十銭)

著者自序
本書の著者は彼是と多忙の身であるが、現在の円本流行を黙過すべからざる害毒問題として、天下に吼号し、以て読書界の進展と出版界の転機を促さんとするのである、これがため著者は、円本出版屋の怨恨と憎悪を受けて、ヤミウチされるかも知れないが、著者は再生外骨として一二の国家的事業を遂げねばならぬ貴重の身、今彼輩の手にかかるのは勿体ない、ナルベク其危殆を免れたいという生存欲で、聊か深刻と徹底を欠くの嫌いはあるが、総て具体的の記述を避けて、抽象的暗示的の筆を執る事にした、それで何だか卑怯らしい所もあるが、円本出版屋の大広告を載せて有卦に入る諸新聞、印税を貰って北叟笑む蚊士共、それ等に縁固ある諸雑誌、評論家ばかりで、誰一人此時弊を打破せんとする志士なきを慨して奮起した著者、此勇気だけは何人も認めてくれよう
昭和三年十月十日   再生外骨

総目録

著者の自序(巻頭)

(写真版) 昨春の敗軍遺物
      現在の無謀戦況

緒言
害毒の十六ヶ条
 害毒の要目
 円本出版屋の無謀
 円本著訳者の悖徳
 図書尊重の念を薄からしむ
 予約出版の信を失なわしむ
 普通出版界に波及せし悪影響
 多数少国民を荼毒せし文弱化
 融通金主の当惑
 印税成金の堕落
 広告不信認の悪例を作りし罪
 批評不公平の悪習を促せし罪
 国産用紙の浪費
 製本技術の低下
 通信機関の大妨害
 運輸機関の大障礙
 一般財界の不景気を助長す
 一般学者の不平心を醸成す
円助芸者と円本芸者
円本関係の裏面談
 釣られた予約者の多かった理由
 破約者続出で読者激減の理由
 予約金取込みのアテ外れ
 取次小売店が横暴と呼ばれた事
 残本を安売した出版屋の謝罪
 残本を買取ったゾッキ屋の後悔談
 残本の多いのに困る出版屋
 残本古本が売れない理由
 ハヤリ物にロクなものなし
 買いたくば時を待つがよい
 最終刊篇と本棚の問題
 同質本の競争劇甚は双方の大損
 読者の横暴
 今に新円本出版の続出するワケ
 遅れ馳せに出た破廉恥漢の醜様全集
一年半前の予言的中記
コケがモト
円本総マクリの自跋

本書を披見して、一時円本潮来の渦中に巻込まれた事のある人々は、少しクスグッタイ感を起される項もあろうが、此極端なる厳正批判と、遠慮なき内情暴露とは、マタ後日のおタメに成る点もある筈だから、ムカ腹を立てず、冷静に全篇を通読なさい、お笑草の所もありますよ

一円本流行の害毒と其裏面談
著者 再生外骨

文運促進とか、読書子幸福とか、出版界革新とか云って、円本の流行を謳歌して居る奴も多いが、それ等はいずれも、永々貧乏生活をしていた蚊士輩が、図らずも巨額の印税にあり付いたので、其礼心やら、流行継続の野望から出たソソリ文句を並べるに過ぎない、古来の俚諺に「盗人《ぬすと》にも三分の理がある」という、円本の流行にも何等かの利益はあろうが、それは盗人の道理に同じ事と見る、本書の著者は、礼讃の正反対たる撃退目的の痛棒をクラワシてやるのである、論難の無遠慮にして切実、観察の徹底的にして明敏、加之《しかも》、簡潔の警句、犀利の妙文を以て自ら誇る著者が、五日間、鬼の住むという東北の山中にこもり、腕にヨリを掛て書きノメシた此総マクリ、毀《そし》る者は毀《そし》れ、誉める者は誉めろ、著者の胸中はタダ光風霽月

害毒の十六ヶ条
我出版界のため、我読書界のため、延《ひ》いては我学界のため、我経済界のため、黙過すべからざる重大の社会問題として、一円本流行の害毒を列挙すること左の如しである
要は破壊にあらずして建設、悪物退治にありて正業保護、罵らんとして罵るにあらず、傷つけんとして傷つくるにあらず、正論硬議、熱血の迸《ほとばし》り、熱涙の滴《したた》り、秦皇ならねど、円本を火にし、出版屋を坑にせんずの公憤より出た救世の叫びである
但し一円本とは一冊一円の全集物、及び一円以下のヤクザ本全集の事であって、一冊二円、三円、五円の全集物を云うのではない、それ等は一円本予約出版の流行に乗じて出ただけのものもあり、或は其流行に関係なく、旧来行われた全集予約の例に倣って出たのが、タダ時を同うする迄のものもあり、又概して堅実の著作有益の良書たるものが多いから、ここにはそれを除外とするのである

害毒の要目
版刻の売本が始まった慶長以来未曾有の大弊害なり
円本出版屋の無謀 図書尊重の念を薄からしむ
円本著訳者の悖徳 予約出版の信を失なわしむ
普通出版界に普及せし悪影響 融通金主の当惑
多数少国民を荼毒せし文弱化 印税成金の堕落
広告不信認の悪例を作りし罪 国産用紙の浪費
批評不公正の悪習を促せし罪 製本技術の底下
通信機関の大妨害 一般財界の不景気を助長す
運輸機関の大障礙 一般学者の不平心を醸成す
全国各地津々浦々までへも及ぼせし稀代の大流毒なり

円本出版屋の無謀
大量生産を基礎として、一円本出版の企画をしたことは、大なる無謀であった、資本主義の極端な弊害を暴露し、他へ及ぼす悪影響と自然に起る悪結果を考慮せず、只管自家の営利をのみ目的としたのは、商業道徳の破壊ばかりでなく、経済原則破壊、風教破壊たる非国家的非社会的の暴挙と云って可なりである
次に利己一遍の有象無象が、自衛上の已むなきに出たとしても、発頭者の無謀をマネて其罪悪を拡大し、其害毒を増大せしめたのは、共に不埒の暴挙である、其暴挙であるが故に、悪竦の手段を講ぜねばならず、卑劣の窮策を廻らさねばならぬハメに陥りやがて悲哀を招き煩悶を来たして、終には没落するに到るのである、これ皆無謀行為の自業自得、考慮なき暴挙の悪因悪果として、当然の成行であらねばならぬ、以下条を追って其実証実例を列記する

附記 大量生産の円本出版其事が無謀の暴挙であるばかりでなく、円本出版屋の手段に就ても種々の暴挙がある、確乎たる収入の予算もないに、諸新聞へ大広告文を掲載せしめて其代料を支払わず、紙屋印刷屋へ注文した書冊の代料を支払わず、或は、他人の著作権を侵害して円本の材料とするなど、彼等の不徳行為は※[#「※」は「てへん+婁」、47−12]指に遑なしで、其ため強硬の談判を受けて逃げ隠れるもあり、示談金を出してアヤマルのも多い、諸新聞紙上に掲出された岩波書店の被告事件などは表沙汰の一例に過ぎない
其一例とは、往年大倉書店が故夏目漱石と著作権共有の契約で出版した『吾輩は猫である』を、曩に岩波書店が一円本として出版した『漱石全集』中に無断で入れたので、大倉が漱石の遺族と岩波書店主人とを共同被告人として、著作権侵害の訴訟を起し、損害賠償金三万余円を出せと云う事件である
漱石の遺族などは論ずるに足りない、岩打つ波[#「岩」と「波」に圏点]は狂瀾の相、東京の出版屋中で、比較的信用のあった岩波書店ですら此醜怪事あり、他は推して察すべしだ

円本著訳者の悖徳
出版屋の無謀に合意し、暴挙にクミした著訳者にはロクな者なしである、見識や徳義を有する者は一人もない、曾て三円五円の定価で売らせた物を、原版者に交渉もせず一円本の中に入れさせて印税を貪る二重転売者、既に他人の翻訳で刊行されて居る物を、著作権侵害の訴訟を免れんとして、文章を改作したに過ぎない剽窃受負者、偶ま原書に就いて翻訳する者にしても、其無学なるが故に原語を解せず訳語を知らずで、意義不可解な誤訳だらけの物を平気で出版させた者、又著作者としての行為で最も不徳を極めた者は、利口不食《きくちくわん》ではなく破廉恥漢なりと呼ばれた泥仕合の総大将である
中にはイクラか真面目な者もないではないが、概して円本の著訳者は不正不義不道不徳の小人バラ、出版屋を臓物故買犯者、著訳者を背信、偽作、剽窃の常習犯者と見れば大差なしである

図書尊重の念を薄からしむ
古珍書を骨董品視する玩物喪志の輩は例外とし、総て所蔵の図書に対しては尊重の念がなくばならぬ、明晢の論叢、絢爛の文藻も、其著作者の性格を崇敬して感化を受け教導を受ける所に蔵書の価値があるもの、それが一円本流行の後はドーであろう、往年三円五円で買った物が、一円本の中に包含されて、物的価値の損亡に帰した時の怨嗟、著者の利己一遍たる不徳行為に原因するもの、図書尊重の念を薄からしめると共に、著者崇敬の念も亦薄くサメざるを得ないではないか
円本礼讃者は文運促進とか文学普及とか云って居るが、果して文運促進か否か、果して文学普及か否かは別に記するが、仮りに促進であり普及であるにしても、一方に此尊重心減損、崇敬心潰滅の害を与えつつありては、図書本来の使命たる教化も育成もダイナシではないか

予約出版の信を失わしむ
円本の予約出版と称した事は、旧慣破壊の一害であった、いずれも「入会御申込みの際は予約金として金一円御送り下さい、これは最終の会費にあてます、中途で退会さるる御方には返金致しません」との規定であったが、予約者奪取の競争上、取次店からは予約金を取らない事にしたので、中途の破約も随意と成り、残本の返送も当然と成り、予約出版と云う事実は全く無くなって了った、そこで一般読書子の方へは規定無視の念を普及せしめ、これがため、従来小資本出版屋の便宜手段であった予約出版は行われない事に成った
斯く旧慣破壊で他へ迷惑を及ぼしたのみでなく、自己が「予約会員にのみ頒つもので一冊売りは断じて致しません」と書いた事も反古にされ、今は何処の本屋にても一冊売りをする事になって居る、奴畜生メ《どちくしょうめ》

普通出版界に波及せし悪影響
「出版界に危機をもたらした円本」と云った人もある如く、大量生産で資本主義の弊を遺憾なく暴露した円本出版は、実に普通の出版界に危機をもたらしつつあるのである、自衛上已むを得ぬとして、同じ円本出版に変じた書肆も多いが、此円本流行が永く継続すれば、出版界は共倒れの全滅になるかも知れない
盲目千人目明一人の世の中、カサ高いヤクザ本を見て「これが一円とはヤスイ物、従来二円三円で買って居た本よりも部厚《ぶあつ》で立派だ、これを一円で売っても儲かるものとすれば、本というものは安く出来るものらしい」と思うコケ共が多いので、権威ある堅実な著書の売行が減少したのである、これ円本は正に文教を賊するもの
自己のタメに成る良書を買わないで「安かろう悪かろう」の全集物を買うコケ共の無智は憫むべく、これを買わせる事にした円本出版屋の暴挙は憎むべしである

多数少国民を荼毒せし文弱化
円本中には、科学的有益のものもあるが、それ等はヤハリ少数の読者で、利害は相殺されるものに属する、大量生産で社会を毒しつつある円本は、文芸上の駄作物や、講談という卑俗浅薄の読物類が多いのである、本項はそれに就ての害を挙げる
仮令《よし》や文芸上の大傑作であっても、其読者が低級で作の真髄に触れるだけの能力なくば、猫に小判、寧ろ時間浪費の損あるのみ、真珠と瓦礫《いしころ》との区別がつかない米屋の小僧、蕎麦屋の出前持輩にトルストイを読ませイプセンを読ませて何にかなる、これをしも文学の普及とはチャンチャラ可笑《おか》しい、又大衆の名をかりて徒らに末梢神経をのみ刺激する非芸術品の横行、これをも文運の促進とは聴いて呆れる、大量生産の十が九は、それ等の手に帰する外はあるまい、これを我輩は多数少国民を荼毒
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