せし文弱化と叫ぶのである、判《わか》ったか

融通金主の当惑
円本出版者悉くが資本家ではない、十中の七八までは、自家の金でなく、他より融通を受けて遣繰って居るのである、それは従来の出版屋が「近頃は円本が流行で、普通の単行物を出したのではモノになりませぬ、ワタクシも円本をやるツモリですが、金が少し足りませんから、暫くの間四五万円融通してくれませんか」とか、或は素人が「昨今は円本をやりさえすれば、儲かるのです、金方になって下さい、二三ヶ月の内に返します」など説きつけて金を借りたのである、サテそれが予算の如く儲からない、さりとて止めれば最初の宣伝資金が丸損になる、アトは大した費用もかからないから継続してやればイクラカずつの利益はあると云う勘定で、細々にやって居る、そこで濡手に粟のような甘言を信じて融通した金方は、少しも入金が無いに当惑して居るとの話を聴いた、円本出版屋は後家泣かせ隠居泣かせの罪をも作って居るらしい

印税成金の堕落
大きな強窃盗犯人が捕えられるのは、大概色里での豪遊中である、それは平常貧乏生活の者、持ちつけない大金が懐中《ふところ》に入《はい》ると、先ず第一に性の本能満足、放縦な逸楽を得たい欲念が起って、白粉臭い美人に接したがる煩悩の犬走り、国家の一機関が網を張って居るに気付かず、手もなく「御用」の声で縛に就くのである
円本の著者訳者は、大量生産であるから、五分か一割の印税でも、十万二十万の押印料は、少くも五千円、多いのは一二万円の金が懐中に入る、そこで年中貧乏生活をして下宿料もロクに払えず、或は嬶の腰巻一つも買えなかった凡夫の奴共、強窃盗犯者と同様、先ず第一に駆け付けるのがカフェー、新調の洋服か何かで、五円のチップ「あなたホントニ御様子《スタイル》のいいお方ネー」が始まりで、牛込神楽坂の魔窟、赤坂溜池の料亭ビタリ、始末におえぬ其ダラケさ、フン縛ってやりたい、ここな文壇の剽窃犯人《どろぼう》

ここに一つ附記せねばならぬ事がある、それは「印税前借りの吐き出し」という話、円本流行の凋落に近づいた例証の一つ、雑誌『日本及日本人』所載の一節である
いよ/\円本の没落期が来た、世界文学全集が十万以下に減じたとか、又良さそうでいけないのが、長篇小説全集とやら、もうそろ/\落ちかかったという
長田幹彦といえばその昔、今の三上於菟吉ほどの全盛で文壇を唸《うな》らしたほどの男今ではあまり流行らず、子供も出来て、いやに落ついてしまった、それでも円本でこれもドサクサと金が入ったが、なんでも門は平常閉じてあって、プロの侵入を防ぐという、ところが印税を前借りしてしまったので、この頃のように円本の予約者が減じて来ては、あとになった作者は不安此上もなく「一万部位になってしまっては、此方から印税を返さねばならぬ」と長田幹彦大いに悄気《しょげ》て居る由
最初の馬鹿景気に高調子となって、蚊士どものネダルがままに印税の前渡しをした円本出版屋、これも予想裏切「ソレ見ろ」の一つである

広告不信認の悪例を作りし罪
新聞紙上の広告文に誇大と虚偽を並べたものが続出するので、愚直な読者もソー/\は欺かれず、年を追って広告は不信認と成り、新聞読者の増加率に逆比例して広告の効力は漸次薄弱となりつつある今日、広告不信認の悪例は、単に円本のみには限るまい、彼の講談社などが「満天下の熱狂的歓迎」と云っても、誰一人信ずる者はなく、「売切れぬ内にお早く/\」と云っても、急いで買いに行く者はあるまい、と難ずる人もあらんかなれど、講談社の如きヤシ的出版屋の広告はそれにしても、従来然らざりし社名を以て大々的一頁の広告、シカモ前例のない一円本の宣伝、講談社の広告には欺かれない連中も、ツイ、ヒッカカリて馬鹿を見るに至り、今後は如何なる広告も信認するに足りないものとの悪例を示した事実は確な所であろう、要は円本出版屋が悪例の上塗《うわぬり》をしたものと見ればよい

批評不公平の悪習を促せし罪
新聞社が営利事業に化して以来、主張も見識もゼロに成り、編集部が営業部に支配さるるに至り、財源たる広告料の収入に成る事であれば、詐欺広告をも知らぬ顔で載せ其被害投書がイクラ来ても没にするなど、スリの上前を取るような方針であるから、広告料の大増収を得た円本の攻撃文などは一行の記事にも載せないのみか、反って流行を煽《あお》るソソリ文句を並べたり、批評らしく書いてクダラヌ全集物の提灯持をしたので、それに釣られて予約の申込みをした者も少くはない、サテ現物を読んで見ると、面白くもないとか、訳が判らぬとかで投げ出す事に成り、破約する事に成ったのである、そこで新聞紙上の批評文などはアテにならぬものと、初めて知ったコケ共が多い、これも円本出版屋が旧来の悪習を助成したのであって、ヤハリ上塗の罪を重ねたものと見ればよい

国産用紙の浪費
我輩は資本主義を絶対に否定する者ではない、其利を認め其害を認めて居る、現在に於ける円本出版の流行は、資本家ならぬ遣繰屋が企画して居るのもあるが、いずれにしても大量生産は資本主義を根底とするもの、円本流行は即ち資本主義の跋扈で、其弊害のみを多々現出して居るのである、本書列挙の害毒十六ヶ条は悉く資本主義より生ぜし害毒に外ならない、其中で最も顕著の事実は洋紙の浪費である、多く売れなくてもよい、大量生産の半数がモノになれば実費を償うに足りる、残る半数をツブシと見ても、幾許/\《いくらいくら》の利益を得られると云う勘定、始めよりツブシを仮定しての生産である、それが仮定の通りに残本山積となって居るのであるから、他の有益な良書に使用し得べき多量の洋紙を浪費し、シカモ洋紙の価格を騰貴せしめて居る、国家主義若しくは社会政策の上より見て、資本主義の円本流行は一日も早く撃退せねばならぬ

製本技術の低下
従来の単行本は概ね一千部乃至三千部を限度として初版を製本したのであるが、流行の円本は十万二十万、多きは四十万部の製本となった、そこで従来一冊の製本料が二十銭乃至三十銭位であったものが、大量生産の「数でコナス」という通則で、一冊八銭若しくは十二三銭で請負う事になったのである、それがため従来一時間に五十部仕上げて居たものが、百部も二百部も仕上げねば勘定に合わぬ事になったので、巧遅よりも拙速という事に変じたのである、拙速……粗雑でも早いがよい……これが製本技術の低下で、従来の一千部乃至二三千部位の製本料は旧価のままでありながら、拙速に手馴れた職工共はヤハリ廉価な円本同様の仕上げをするのである、それで少数の単行本出版屋は、従前通りの高価を払って粗雑な製本を押付けられる事になった、これも資本主義の円本が普通出版屋に及ぼした害毒の一つに算えねばならぬ事であろう

通信機関の大妨害
従来広告依頼者の多い大新聞社は、威張ッて依頼者の要求を容れない事が多かったのであるが、円本流行で一頁又は二頁続きの大広告を出す事になったので、大新聞社が一層威張るように成った、従前は依頼した当日より五六日目若しくは十日以内に掲出して居たが、昨春以来はそれが十日も二十日も遅れ(死亡広告だけは例外)場所指定などは、一ヶ月前に申込んで予約せねばならぬのである、それを若し何日迄に是非掲出して下さいと頼めば、ソンナに急ぐのなれば外の新聞社へおいでなさい、此方では迚も出せませぬと、ケンツク同様の小面憎《こづらにく》い挨拶である、こんな状態で如何に至急を要する事であっても容易に掲載してくれない、此外円本の大広告を掲載するがために、緊急の報道記事を削去することもある、円本出版社は斯く通信機関を妨害すると共にサナキダに横暴なりし大新聞社を一層横暴ならしめたとも云い得る

運輸機関の大障礙 
汽車汽船又は自動車で大貨物を輸送するのは、供給者より生産物を需用者に回付して消費或は使用せしめんがためである、それで円本を各地の取次店へ回付するのは、需用供給の定則による生産物の輸送と見てもよいが、廃物同様の残本を逆送するのは、輸送の本旨に反したムダゴトであると云い得る、無謀の暴挙で大量生産を敢てした円本の残本を各地方から東京へ返送して来た総数は、昨夏以来今秋までの間に約三百万冊である、其三百万冊を小車、自動車、汽車、汽船等に積み卸した労力と時間だけでも少からぬ徒費ではないか、そして其徒費のために正当な生産物を輸送する機関に妨害を与えたのである、今後も円本出版の継続する限りは、尚其徒費を繰返し、妨害を繰返すに違いない、洋紙の浪費と共に、国家の損害亦大なりと云わねばならぬ、此点から見ても、資本主義の大量生産たる円本出版を呪わざるを得ないではないか

一般財界の不景気を助長す
世界大勢の影響と、為政者の政策其よろしきを得ないために、我国財界の不景気は永く続いて居る、明年の春までには回復するだろう、今年の末までには直るだろう、などの説は屡々耳にしたが、一向実現しない、そして此不景気の継続を円本出版屋が助長して居る事実を発見した
資本家ならぬ遣繰屋が経営して居る円本出版屋が多いので、無謀なる大量生産のために事業の困難に陥って居るが多く、何々堂が紙屋に幾万円の負債とか、何々社が印刷屋に幾十万円、何々社が広告取次屋に十幾万円の小切手を渡してあるとか、何々会が製本屋に幾万円の借りがあるなど、其聴いただけを合計しても約四百万円位の不払額になる、これが不景気助長の金融逼塞を甚だしからしめて居るに違いない、厄介至極な者共ではないか、そこで「世直し」のためにも円本出版屋をブッ倒さねばならぬ

一般学者の不平心を醸成す
ロクでもない蚊士とか、無学無識の翻訳者などが、円本の著者訳者として多額の収入を得、所謂印税成金になって、遊里に耽溺して居るとか、住家を建築したとか聴いては、普通の人情として嫉み根性を起したり、羨しがるのは無理ならぬ事であるが、そんな劣等感情でなくして危険な反感を持つ人々が、有識階級連の間に多い
真面目に修養して最高の学府を出た者が、日々勤務して月俸百円とか二百円、或は十年二十年、刻苦研鑽を重ねて立派な学者に成った者が、月収僅かに幾十円というのが世間に多い、否それが現代の実状実相である、此連中には世俗に超越した無関心の人々も多いが、中には印税成金の事を聴いて、馬鹿/\しい世の中である、此不公平を打破せねばならぬと、所謂赤化しつつある人も少くない、ここに想到すれば、国家主義の上よりしても円本出版屋を掃蕩せずばなるまい、嗚呼

円助芸者と円本芸者
明治時代に円助という語はあったが、円本という語はなかった、円本という語は円タクと同く、昭和新時代の新熟語である、明治旧時代の円助芸者は一円札でコロブ(売淫)という意義、昭和新時代の円本書肆が一円本でコロブ(破産)という事になれば好一対
此駄洒落を聴いた座中の一人が、東京牛込神楽坂には円本芸者というのがあろと告げ、円本成金に愛されて居る芸妓ということだとの説明、それでは平凡で面白くない、表装ばかり奇麗で、内容がゼロのため少しも売れない古本と同じ芸妓を、円本芸者と呼ぶことにならないかネ――、とやったので「どこまでもですナー」と一座哄笑

円本関係の裏面談
これより以下は、円本出版屋に関係した事、円本予約者に関係した事、円本の残本を買取ったゾッキ屋(残本を仕入れて各地方の本屋へ売ったり、市内の露店商人等に売ることを専業とする問屋)の事などを記述するのである
但し前記の「害毒の十六ヶ条」中にも裏面談がある如く、此裏面談の中にも害毒論が混じて居る
裏面談は以下に記述する外、マダ幾許でもあるが、大同小異の事であり、或は指名して具体的に書かねば面白くない事もあり、或は事実に相違なきか否かを偵察せねばならぬ事などもあるので、総て省いた、蚊士と出版屋との間に於ける瑣談は多くあるがいずれも俗界の常事、採録する程の事でもない、今後見聞した中に珍談奇事があれば後日『円本全滅記』刊行の時にでも記述する

釣られた予約者の多かった理由
円本出版屋が出した諸新聞紙上の大広告に釣られ、其内容見本のソソリ文句に釣られ又取次店の甘言に釣られた天下の衆愚が、潮の如く殺
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