到したのである
○ 既刊本の三円も五円もした本が、タッタ一円で買えると云うこと、オマケに本棚をタダで貰えると云う事○取次店が宣伝した如く、読んだ後には古本として売っても、一冊一円のものが一円四五十銭に売れるものと信じた欲ボケ共の多かった事○一円本の予約者にならない人々は、友達の間でハバが利かないと思って、丁稚小僧に至る迄が加わった事
約、こんなワケで、従来一冊の蔵書もなかった連中までが、応募者となったので、三十万四十万の申込みを受けた出版屋もあったのである、教育普及の聖代とか、新文化国の人民とか云っても、案外、馬鹿者の多い現代であることが知れよう
破約者続出で読者の激減せし理由
前記の理由で予約者となった連中が、間もなく破約者となった理由を概括すれば、大略左の如しである
○ 装幀が奇麗でモリの多い書冊を手にした最初は満足もしたが、サテ、読んで見ると面白くない、又頁数が多いのでタヤスク読み切れない、そこで二三冊を受けた後、アトはイラナイと云って破約した人々
○ 古本として売りに行くと、ヨイ方で一冊五十銭、ヤスイのは一冊二十銭三十銭というミジメな安値に呆れて破約した人々
○ 続けて読みたいにしても、一二ヶ月後に買えば、高いのが六十銭、安いのは三十銭位で買えるから、毎月一円払うのは損だという勘定づくで破約した人々
○ 応募当時の雷同性と同く、君はヤメタか、僕もヤメタと、雷同的に破約した人々
斯様な人々が多かったので、最初四十万にも達した予約者が、漸次破約して昨今は其四分一の十万位に激減したのである
現在まで残っている其十万の予約者中には、一時払をした人々が、破約を申込んでも返金しないので泣寝入りになって居るのと、一時払いでなく、予約金一円を入れてあるので、その一円を見切れない人々などが多分を占めて居る
各地の取次書店では、応募数を多くせんとて、最初「一円の予約金などはいりませぬ書冊引替に一円ずつお払い下さればよろしい」と云って引き入れたので、破約されても一円の要求は出来ないのである、そこで残本の返送、出版元の泣面、事業の破綻とも成ったのである、聴くだけでも気味のいい話ではないか
昨今は、予約規定を励行して残本の返送を受取らない出版屋もあるが、それは一万内外の印刷に過ぎない読者少数の円本で、大量出版屋はヤハリ返本を受取る事にして居る、中には二割以内の返本に限るとしたのもあるという
予約金取込みのアテ外れ
円本出版屋が予想裏切の一として一時当惑したのは、予約金取込みのアテ外れであった、最初予約の証拠金として一円を徴収し、それを最終篇の代金に当てるという規定で、取次店へ申込んでも同く一円払込という事にして居たが、取次店では其証拠金を払込まない、其口実は「若し出版元が中途で止めた時、其証拠金を返して呉れないと此方の責任でお客へ一円返弁せねばならぬ損害を受けるから、今予約金を渡す事は出来ない」と云い、又「予約金を払込まねば無効だと云うのなら、アナタの方は止めにして、他の出版屋の本に変更させます」とホザイタのもあった、尚又取次小売店では右の如く出版元へ予約金を払込まない事にしたので、馴染の顧客からは予約金を取らない事にし、其取らないのが例となって、酒屋の御用きき、床屋の下剃などの新客からまでも予約金を取らなかったのである
そこで、出版元では、五万人の予約者があれば五万円、十万あれば十万円の収入があるものと予算して、三万円六万円の新聞広告料を支払い、内容見本代の実費を支払っても、尚余りがあると、虫のよい勘定であったが、出版元への直接予約者は十分の一に過ぎないので、これが第一のアテ外れであり、此予約金を取らない事にしたのが後に破約者続出の一因ともなって、それが第二のアテ外れになったのである
取次小売店が横暴と呼ばれた事
前記の如く円本予約の取次店が証拠金を出版元に払込まない口実は、取次店の横暴と云えば云えない事もなく、又『子供文庫』の出版元が予約の証拠金を強要するのならばお客にすすめて、『笑愕全集』に変更させると威喝したなどは、ホントの横暴であろうがソコまで威喝されて平伏した出版元のイキジなさは、アワレ憫然の至り、ソコが競争者の弱味、取次店の付ヶ込み所で、横暴にしても痛快な横暴であったネーと、当時我輩は話柄の一にしたのである
近頃聴く所によると、甲乙両店が競争して居る二種の『エリコノミ全集[#「エリコノミ全集」の「リ」以外に圏点]』は名古屋市で猛烈な競争戦を開始し、一方が各書店の手代を自動車に乗せて、景気よく顧客の戸別訪問をやったので、一方も我負けじと同く手代連を引出し、自動車に乗せて市内巡りをやったが、此時其手代連の一人が或者に「東京の出版屋は地方の取次店を横暴だと叫んだ事もあったが、昨今は東京の出版屋が横暴です、忙しい用のある我々を無理に引出して自動車に乗せ、各町の家々に立寄って「どうぞ宜しく」と選挙当時の投票乞食見たようなマネを強要されるのは横暴じゃありませんか」と云ったそうである
咄 如何に必死の競争とはいえ、トロクサイ手代連をして斯かる気焔を吐かしめる程の愚劣手段を演じて、無駄な金を遣うなど、経済ならぬ不経済極まる没常識の沙汰ではないか、今に其不経済運動のタタリで、約束手形の不渡だけではすまない事になるだろう、ナモ
残本を安売して談判された出版屋
これは本年六月頃の事である、一円本の第一巻より六巻までとか、第一編より四編までとか云う新本がゾッキ屋の手を経て、少しずつ、各地の古本屋に出た時、大阪の新本取次書店が連合して東京の出版元二三へ談判をした、それが面白い
「我々が一円で配付したのと同じ新本が、昨今古本屋の店に一冊四十銭内外の正札付でならべられて居る、それでお客様から苦情を持込んで来て、結局今後はイラナイと云って破約される、予約者が売った古本なら仕方もないが、出版元が残本を安売しては、我々が迷惑至極である、今後も尚又残本を安売りするのならば、我々は連合して円本の取次販売を断然止めるがドージャ」
此強談判を受けた出版元は青く成ってアヤマリ「それは御尤であるから、予定の冊数を完全に出版した後でなくば、残本安売りをいたしませぬから、ドーゾ不相変」と一同が平伏して無事に落着したのである、これで完成後は安売りする事を明言して居るのである、此時談判された出版屋の一人たる神田の某社主人が「実は安売りしたのではありません、ゾッキ屋某へ抵当として入れてあったのを期日までに行かなかったのを口実にしてそのゾッキ屋が当方へ無断で揃物だけを安売したのであります」と弁解したそうであるから、著者は其のゾッキ屋の主人に逢い、無断で売ったのか否かを糺して見ると、其主人は「抵当に取ったのではありません、初めから買切です」と明確に答えた、いずれが真であるにしても、出版屋の窮状は此一事ででも察し得られるであろうが、不思議なのは、其出版屋某が、倒れもせず今に継続して居る事である、其後ドコからか金主を見付け出したのか、又はウマク遣繰して、平凡ながらも余命を繋いで居るのであろう
さて完成後は安売りする事になっていても、何処のゾッキ屋も買わないであろうから、如何に処分するかが問題である
残本を買取ったゾッキ屋主人の後悔談
著者が親しく聴き取ったのは、外神田佐久間町辺の何某というゾッキ屋と、内神田表神保町の何々社というゾッキ屋との二軒である
先ず甲の主人は語った所を略記する
「去る三月、円本のゾッキを扱う皮切り、前例が無いのだから儲かるに違いないと云う予算で、一円五十銭の上製本を一冊四十銭の割で買い、一円本を二十銭の割で買いました、総高が三万円です、トコロが案外、サッパリ売れませぬ、最初は四十銭のを六十銭、二十銭のを三十銭の卸売ということにしたのですが、夜店出しは勿論、各地方の本屋が買わない、そこで六十銭を五十銭に下げ、三十銭を二十五銭に下げましたが、それでも売れない、昨今は原価に足りない三十五銭、十八銭という損をした安値をいっても買人なしです、在外邦人へ向ければ売れるだろうと思って、米国に荷出をして居る名古屋の何某へ見本を送りましたが、在外邦人も内地と同じく、円本予約の破約者が続出で、取次店が困って居る際だから、安価の残本だといっても、送り付けはダメです、なにしろ米国では一円本を送費かけて一円四十銭位に売らねばならないのですが、ゾッキの残本でも向うへ送れば一冊一円位に売らねばならず、出稼人は多くても、購買力のない文盲者ばかりが残って居るので、迚も売れませぬと云う返事です、此円本のゾッキは実にアテ外れでありました、これに懲り/\して、今後円本のゾッキ買は断じてやらないつもりです、三万円の内、少しばかり売っただけで、全くの背負込みをドーすればよいかと、頭脳を痛めていますが、妙薬更になしです」云々
という聴くも気の毒の悲哀談、次は乙のゾッキ屋主人
「ワタクシ方は、一円本の残本十七万冊を一冊十二銭の割で二万円余に買取りました、トコロが、一から四までの揃いとか、一から六までの揃いとか云うのは、割安ですから皆売れましたが、アトがサッパリ売れませぬ、ハモノは殆ど買人なしです、其ハモノが多いので、如何にすればよいかと心配していますが、一向に好い智慧も出ませぬ、………ドーしてハモノが多いかと申すと、残本のゾッキですから、一巻は六千部、二巻は八千部、三巻は四万二千部、四巻はタッタ三百部、一篇は二百五十、二篇は二万六千、三篇は三万三千、四篇は百七八十、五篇は八百二十、六篇は二百八十というように、印刷高の激減と破約者の多少によって、残本数に大差違があるのです、揃い物は二百か三百に過ぎませんから売れたのですが、ハモノはそれをさばくに三万四万の顧客を待たねばならぬので、容易じゃありません………そして其ハモノを売らんがため、全国各地方の書店へ交渉しましたが、何処も同じ多い破約者の古本を買ったのがトント売れないで困って居るのだからとて、少しも注文なしです、此円本のゾッキ引取は大きな思惑違いでありました」云々
此何々社というのは、一般の不景気が主な原因であろうが、先々月(八月)の末行きツマリ、合計四万円許の不渡手形で破産する事になり、先月十八日に債権者会もあったと聴いたが、同店主人の直話によると、円本を引取ったので、二万円ほどが固定して融通が利かなく、遣繰の途が絶えて終にボロを出すに至ったのであるそうな、そうすれば、此悲惨事も円本出版屋のあるが為めに起ったことであり、又前記の甲は資本金が豊富だと聴くから、マサカ三万円位でヘコタレルような事はあるまいが、それにしても商人に三万円近くの損をかけたのであるから、当人の大迷惑は思いやられる、此二点だけに就て云っても
円本出版社の罪大なり
と叫ばねばならない所であろう、憎むべし、呪うべし、俑を作る者は後なしとや、円本出版屋の開祖某、近頃財難との風説がある、冥罰のあたり時が近づいたらしい
残本の多いのに困って居る出版屋
予約者の破約随意で、いずれの出版屋も残本山積である、牛込の何々社では四十万冊に近い残本、芝の何々社では二十幾万冊の残本、何堂は十幾万、何会は無量数万という残本、自社の倉庫に入れ切れないので、婦人雑誌社の倉庫を借りて入れ、高架鉄道の下を借りて入れるなど、其残本の多いのには一同が困って居る、サリトテ別項記事の如く完成するまでの間は、ゾッキ屋に安売りする事も出来ないので、豆袋屋廻し、漉返しの原料等、ツブシにするのもあるが、何にしても資本主義の弊たる大量生産のミジメな標本であり、国産浪費の馬鹿気た厄介物である、本郷の某社ではそれを知るや知らずや、一層カサ高いヤクザ本をやりかけて居るが、今に団子坂から小菅の製紙会社まで続く紙屑車数十百が、蜿蜒と長蛇の列を作るであろうよ
残本が売れず古本が売れない理由
上記の如く残本が売れないのは何が故であるかと云うに、予約というは名のみで、随意に購読中止を申込み得られたので、一二冊又は三四冊で破約した者が多く、其予約者と継続者の過半が、古本として売却せし数が夥しいので、残本(新本)がヨシ安いにしても、既に買入
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