された宿なし鳥が少なくないからでしょう、お笑い草ですナー」
豈に啻に小鳥のみならんやである、流行の一円本亦然りと云うに近い事実を次に
一円本が豆袋になって価二銭
残本を一冊十二銭十五銭の割に売った為め、取次店から強談判を受けた出版屋は、山なす残本を売る事も出来ないので、表紙を剥がして小口の外題を張り変え、何々全集「第五篇」とあるのを「第十六篇」という新版の表紙に使うと、六銭の代用になる、中身の本文を裁断(舶来機械で中央へ穴をあけること)して売ると一冊分が二厘五毛位にしかならないが、裁断しないで豆袋屋へ売ると一冊分が二銭の割にあたる、ツマリ一円本が六銭と二銭、即ち八銭になるので、それをやって居る出版屋が山の手にある、(気をつけて見ると、其形跡がわかるそうだ)一個一円四五十銭で買った鳥箱は中の小鳥よりも上値で、一個六十銭位に売れたそうだから、表紙の再用が六銭に値すると云うのは鳥箱同様と見てよい、中身が二銭とは些と高すぎる、豆袋屋が買わなくなると、タダで呉れるかも知れないが、其時は貰い人なしであろう、ここに到ると、大量の稗粟黍を食い潰させた小鳥飼と同様、円本出版屋の洋紙スリ潰しは、正に国産冗
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