の隅の小さな家の窓が開いて
女が首を出して何か云つた
泣き聲に向つて。
[#地から1字上げ](三月二十八日)
子供
あゝ何と云ふ小さく子供が見えるのだ。
未だ三歳だから
日の光りの中で
うつかりすると見失つてしまふ程小さい
だが、あの眼、鼻、口に現はれる魅力
何と云ふ大きな愛が現はれるのだらう。
我儘な男
寺の前の石塔のかげに彼は眠つて居た。
冬の夜更けに
彼は晝間の間其處で本を賣つて居て冷えこんで動けなくなつた。
彼は梅毒を患つて居た。
彼は商品を包んだふろしき包みを枕にして地の上へ眠つた。
一人の青年が近づいて彼の容體を聞いて
金を與へるから馬車に乘つてかへるか
酒を飮んで暖をとつたらとすゝめた。
彼は青年の近づくのを待つてゐた樣に
藁を買つて來てくれと卒直に頼んだ。
彼は動く事は出來なかつた。
青年は町を走つて行つた
丁度今戸を閉めようとする米屋へ行つて藁を賣つてくれと云つた。
米屋には藁がなかつた。
青年は困つた。
道の上に立つて見廻すと皆んなどこの家も戸をしめてゐた。
青年は彼のところへ引返して
「藁がないが如何したらいゝだらう」と云つた。
彼は「無い筈がないそんな藁一枚ない筈がない、嘘だ」と云つた。
青年は困つた。辯解した。
彼は「構つて下さるな、向ふへ行つて下さい、
藁が無い筈がありますものか、たつた一枚二錢か三錢の藁が、
どこの米屋に行つてもあります。」と云つた。
青年は默つて立つて居た。
側から近づいた女が
「この方は本當に藁を探しに行つて來て下さつたのですよ」
と云つた。
彼は聞き入れなかつた。
地の上に眠たまゝ動かずに何かブツブツ云つた
少し醉つた書生が近づいて「我儘を云ふものでは無い」と説いた。
彼は襲ひかゝる寒さと睡魔の中から
「金を遣るの、酒を買つてのめの、藁が無いのと皆んなうそだ。
ちやんと解ります、本當に氣の毒だと思つて云つてくれる人の言葉は
私には解ります、皆出はうだい云つてゐる。金を遣るなら、何故、
明日にも困るから、何かの足しにしてくれと云ひなさらないのだ。
皆んな嘘だ」と云つた。
青年は二十錢紙幣を手に握つてふるへた。
「贅澤云ふな、醉拂ひかもしれない、構はん方がいゝです」
と書生は云つた。
「あれは本當の事を云つてゐる。あれは本當だ。」
と青年は口に出さなかつたと思ふ程心の中では強く、
口では小さく云つた。
然うして金を手の内に握つた儘、渡す事が出來なかつた。
そこへどこかから一枚の藁を女が引ずつて來て
「これ切りないのだから之で堪忍して下さいよ」と云つた。
彼の男は禮を云つた。
然うして足の方が寒いから足の方へかけてくれと云つた。
女はその通りにした。
「贅澤な奴」と書生は苦笑した。
彼はもう默つてしまつた。落着いて眠る樣に
然うして皆んな去つた。
青年もプイと去つた、心が變つた樣に
然し青年の胸には彼の云つた言葉や動作が殘つた
その切れ/″\のふるへ聲が殘つた
彼にはあゝ云ふ權利があるのかと青年は考へた
自分を貧乏の書生と思つてあゝ云つたのか
彼には本當の事がわかるのだらうか、
然う思つて青年は恥づかしい氣がした
然うして未練に責められ乍ら
ふと晴れ渡つた空を見て
「地面の方が人間より暖いだらうな」と云ふ考へが浮んだ。
青年は彼の言葉を思ひ出す度びに涙ぐんだ
自分の不甲斐なさを感じた。
彼の卒直な我儘は自分の餘裕のある慈善心より本當だと思つた。
彼は本當の事を教へてくれたと思つた。
[#地から1字上げ](一九一八、三、二七)
夢のシイン
あゝ春だ。日は未だ淺いけれど
地面を踏めば萬感が湧き起る
黒くしめつた空地には一杯青い平べつたい草が萌え出した。
踏むのが勿體無い氣がする
何故なら其處には幸福がある氣がするから
何と云ふ靜かさの中に
自然が春を裝ふのだらう
木も草も空も萌えた色をしてゐる
夢のシインのやうだ。
昔の人が空に浮ぶ雲を女神の衣裳に例へたのも道理だと思ふ。
自分はこの春の仕度にいそがしい
萬物の中を一人家を出てさまよひ歩りく
至る處に自然の惠みを感じる
疲れ切り乾ききつた自分の體の骨に感じるやうに
柔げられた春は外から浸み込み
内には萬感が起る。
恨みも反感も、憎みも本當に消えてしまふ。
あれは皆んな體が惡かつた故の氣がする。
人々の上を思つて涙ぐみ、幸福を祈る
有難い春だ。
まつたく攝理を示してゐる
然し或日、
自分は尚冬の名殘の淋しさがそこらに見える郊外を歩いた。
自分の心は洗はれた。しみ/″\した。
然うして思はぬ遠歩きをして場末の街道の方へ出た時
自分は道の向ふを來る亂髮のぼろをまとつた女と、
その手を曳いて六歳位の男の子が來るのに出會つた。
自分は「うん」と唸つて立止つた。
目がくらんでしまつた。
つむじ風に身體を卷かれたやうに
腹の内
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