前の泥海を越すのに弱つてゐる。
道の上にはあつち、こつちに一杯の人だ
後向きの人や前向きの人が傘の下で横肥りにひろがつて動いてゐる。
小さい小豆色の洋犬が首を前へ垂れて、
後ろ足をぬかるみに引張られて歩きにく相に道を横切つてゆく、
友達を訪ねてさん/″\朝から遊び散らしてくたびれたと云ふ恰好だ。
町の角には傘をさして小供をおんぶした
女が家から出て嬉し相に見てゐる
脊中の小供に顏を横向きにして話してゐる。
人の居無いところは靜かで不氣味だ。
空は何か含んだ樣にうす暗い
然し往來は面白い、
通る人々は普段見られ無い情熱が透いて見える
日暮れになると町の樣子が變つて來る
雪は盛んに降つて來る
空氣が冷たくなり、濃くなつて來る
眼に見える樣に光つて往來を流れ出す
その中を人通りが盛んになる。
町の景色はリズムを生じて來る。
行き交ふ人は寒さと雪に景氣をつけられて興奮して通る
雪は濃厚の空氣の中に
風が無いので一直線に降りて來る
一緒にかたまつて降つたり
一片一片妙にゆつくりと
重たい空氣にのつかつて落ちて來る
顏を目がけて飛んで來て眞直ぐに足下へ落ちて消えてゆく
降つても降つても往來ではぬかるみへ靜かに消えてゆく、
輕く、淡く、重く
鼻の先や眼の先きを
見えたり隱れたりし乍ら人々の行き交ふ中に降つて來る。
往來はます/\ゴタついて混亂の美を呈し
空氣も嬉し相にそこだけ光つて流れる。
人が重り合つて行き來する。
[#地から1字上げ](一九一七、二、二八、太洋の岸邊所載)
鶯
此頃どこか近所に住んで居る鶯が裏の空地へ來ては頻りに啼く
いつもたつた一羽切りで
朝から晝過ぎまで
朝らしい氣持を失はないで
疲れもしないで啼いてゐる。
その聲を聞くといつも感心する
耳を傾けずにはゐられない
時々休んで止めては
間を置いてから落着いてゆつくりと
沈默の中から自ら開けて來る樣に
奧深いところで靜かに啼き初める。
恥しいのでうぶな姿を茂みに潜ませて
聞き手が沈默してゐるのを知つてゐる樣に啼き出す
耳の故かも知れないが
啼き初める時の二言三言は未だ少し下手だ。
然しすぐ調子を張りあげる。
もう誇をもつて啼く、臆した心が消えてゆく
夢中になる。止めるかと思ふと長くつゞけたりする
短いけれど複雜な歌をうたふ
枝の上から身を逆まにして落ちて來る樣に啼いたり間を打つて、
沈んだやうに嘆いたり
自由自在に心のゆくまゝにやつては止める
朗らかに歌ひ終る
まつたく天品だ。
「鶯は人を喜ばせる爲めに啼いてゐるのですよ」
と俺の妻が分のわからない小供に話してゐる。本當だ、
今に俺の詩もさうなるよと俺は思ふ
鶯よ、御前は飽きもしないで、同じ事をくりかへして居る
朝から少しも疲れもせずに、日の永い一日、
内氣なお前は姿も見せずに
大きな自然の中で
靜かさを一杯身の内に吸ひ込んで
氣が向くと、休んでは心をこめて歌ひ出す
未だそこにゐたのかと思ふ。
一日一日御前の聲は美くしくなる
一日一日調和して來る春景色の中で
御前の聲は強くなる。勵んで來る
だん/\自信がついて來る。
いつも勉強な鶯よ、
御前は短い春をあせりもしないで毎日根氣よく
同じ事をうたつてゐるね。
祕密
小供は眠る時
裸になつた嬉しさに
籠を飛び出した小鳥か
魔法の箱を飛び出した王子のやうに
家の中を非常な勢ひでかけ廻る。
襖でも壁でも何にでも頭でも手でも尻でもぶつけて
冷たい空氣にぢかに觸れた嬉しさにかけ廻る
母が小さな寢卷をもつてうしろから追ひかける。
裸になると小供は妖精のやうに痩せてゐる
追ひつめられて壁の隅に息が絶えたやうにひつついてゐる
まるで小さく、うしろ向きで。
母は祕密を見せない樣に
小供をつかまへるとすばやく着物で包んでしまふ。
[#地から1字上げ](一九一八、三、使命所載)
月の光
天地も人も寐鎭る
底無しの闇の中に
どこからか音も無く
ボンヤリと月の光りが落ちて來た。
巨人の衣の裾が天上からうつかりずつて居る樣に
貧しい家の屋根の上に
皺をつくつてだらりと垂れて居た。
泣いてゆく子供
原の隅を
二人の小供が泣いて行く
喧嘩した二人が
同じ樣に泣いて
晝間のふくろのやうに煩さく、苦るしく
泣いては止め
止めては泣き
何がそんなに悲しいのか
急につまら無くなつたのか
仲善く日當で遊んで居たのに
二人とも同じ方へ
一人が先きになり
一人が後になり
どつちが、いゝのか惡いのか
どつちも同じ位に泣いて
晝間のふくろのやうに煩さく、苦るしく、むし暑く
一人が泣くと止めた方が思ひ出した樣に泣き初め
まるで呼び交はし乍ら
かけ出しもしないで、ゆつくりと
だん/\遠ざかつてゆく
あとからゾロ/\泣かない小供がつまらな相に、
皆んなとむらひでも送る樣に
默つてついてゆく
原
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