いのに元氣づいてます/\歩く
うしろから何かに押されてゐるやうだ。
ひろい何も生えて居ない畠に出た。
一寸先きへ行くのが淋しい氣がする。
廣い景色が眼に集つて來て
空と大地が自分の體に打ちつけて來て響く
歩き出すと平氣になる
空氣がこゝでは猛烈だ。
偶然大きな男が
向ふ側を一人通るのが目につく
早足でやつて來て大股を踏んで
自分が見ると氣合がかゝつた樣に
その形のまゝ動かない運動が凝固つたやうに
彼は惱んでゐる。大地と格鬪してゐる
地面から足を引き離さうとしてもがいてゐる。
まるで大地から躍り出したやうだ
空中から湧き出したやうだ。
一瞬間さうして動かずに
自分の心が外へ移るともう消えてしまつてゐる
そのあとに穴が明いて空氣が目に見えて濃厚に動いてゐる
まるで温室の中を歩いてゐるやうだ。
自分は羽織をぬいで肩にかけたり、
足袋をぬいで袂に入れてもつと先へ歩いて行く。
景色と一緒にどこまでも歩いて行く
日は未だ永いのだ。
田舍へ田舍へと行く、一人で、
板橋のはづれまで來た。
まるで世界が變つて來る。
道が目に立つてキレイだ。白い
兩側の家が低いので空がよく往來に映るのだ。
小川がある。橋を渡つて右へ曲る
埋立てられた樣な田圃と小川の向ふは
小山になり所まだらに低い木が生えてゐる。
小川の水はキレイだ。
瀬戸物のカケラが手にとりたいやうに沈んでゐる。
鷄が馴れてゐると見えて、
一間餘りのその小川をバタ/\と飛んで向ふ岸へ移る。
自分も眞似をして山をのぼつてゆく
一面に貧民窟だ。
腹の減つたやうな亂髮の小供が澤山居て大人が見えない。
山賊の巣窟にでも來たやうな氣がする
たまに居てもこのいゝ天氣に家の中にゐる。大概の家が留守だ。
どこへ行つてゐるのかと思ふ。
家の周りにはどこでも荒繩でおしめやぼろを乾してある。
何を食つて生きてゐるのかと思ふ
どん/\通りぬける
畠の方へ行く。畠の向ふには薄い青空が輝いてゐる。
涯の無いそこから奇妙な無言の歌が響いて來る
畠の中にはぽつぽつ杉が立つてゐる。
聖い感のする恰好だ。
景色の中で懷しさが湧く
ところ/″\に百姓が働いてゐる。
眞面目に働いてゐる
どこからか人が澤山で合唱する聲が聞える
その方へ歩いて行く。
淋しい廣い天空と畠の中で
小學校の教室から聞えるのだ。
淋しい沈默した自然に向つて
叫ぶ人間の聲だ。
自然は默つて聞いてゐる
そこらが急に淋しくなる
くねつた桑の木の行列も淋しさうに生えてゐる
空は色褪せて灰色に見えて來る
自分も疲れて來る
こゝらは景色がひろすぎる
街の方へ引返へす
[#地から1字上げ](一九一八、三、一九)
小景
爽やかな夕方の往來で
自分は都會から歸つて來る勞働者を迎へる
二人づゝ、或は一人づゝ
長い一本道を歩いて來る。
町の眞中をやつて來る
その輕々しい歩みぶりよ、
彼等は黒いはんてんに股引、足袋はだしで
身も輕く身分も輕く
夕闇の中を涼しく歸つて來る
何か友達と並んで話し乍ら、
道の兩側の古着屋や道路より低い時計屋等に
自由に目をくれ乍ら靜かに歩いて來る。
苦るしみのうしろにある深い喜びを
本當によく解して味つて居るやうに
本當に自由な時間と云ふものを知つてゐる樣に
こゝらはもう全く彼等の領分だ。
大手をふつて歩けるのだ。
夕風の吹いて來る方には妻や小供が待つて居る
夕闇の中で顏は見え無いが自分は彼等を知つて居る
彼等は寛大で柔和である。女も小供も彼等になつく
空には田圃が近いので夜かせぎに圓こい鳥がセツセと飛んで行く
見榮もなく翅の破れたのや
拔けて落ち相な羽をぶらさげてゐるのがあり/\見える
然うして乘合馬車が、
往來の上に水のやうな空氣の中に二つのランプを輝かして走つて行く
何と云ふ慕しさだ。何と云ふ窮屈のない事だ。
[#地から1字上げ](一八、三、一九)
春
春が來た
夜は尚夥しい霜で大地がコチ/\と凍るのに
晝間はもう全く春だ
往來には空氣も人も流れ出した
不思議な一大氣體が日に日に此の世の岸に漂着して來る。
温い湯のやうな空氣が際限も無い空の
はるか遠い、遠い處から
太陽の周りから、自由自在に流れて來る
少しづゝ此世の空氣に微妙に温みを
そゝいでゐるのが目に見えるやうだ。
歩いてゆくと身體に附いてゐた
騷ぎがばつたり靜まつたやうな氣がする
自然の靜かさが萬物を領す
何處までも景色と一緒に歩いて行ける
自由自在に空氣と一緒に流れてゆく。
然うして幾度も、幾度も、
自分の身の内が外の空氣の靜さを感じたり
景色の美しさに魅せられて驚きをくりかへす
その度びに春だと思ふ
雪の日
今暫らく往來は靜かだ。
雪は止んでゐる
人が泥濘を氣をつけ乍ら
ゆつくりと歩いてゐる
向ふからこつちへ來る人の行き惱んだ姿と、
自分の足下をかはり番に見乍ら
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