を交へて異形な天馬のやうに
靜かに默つて、居酒屋に入つて居る主を待つ。

人は疲れて頼り無く歩いて行けば
薄闇の深いところから浮き出して
乳房のやうにふくらんだ凸凹の面白くついた地面が
星の中から見たやうに僅か許りはつきりと
子供を顏のとこまで抱き上げて
そのニコ/\した白い顏に見入るやうに、ふと見えて永久に消えた
生白い蝋骨のやうな固い地面が古いたしかな親しいものに感じられ
不思議な恐れと感喜が暖かに甦る。

人は忽ち小さな自分を脱して
無限の同情のある優しい力を與へられ
靄に包まれて見え無い行く手に
身をまかせてスタ/\歩いて行けば
不思議のやうに靄は薄れて行き
ところまだらに空に現はれ、天國は開け
今つくられた許りのどろ/\した星は恍惚として現はれ
人は「如何んな小さいものも大きな天體と一致してゐる」と
思はずには居られ無くなる。
[#地から1字上げ](十一月二十四日)

  子供の動作

子供は不思議な動作に富んで居る。
子守唄をうたへば
必ず何事を捨てゝも母の元へ飛んで行つて非常に落着いて膝を跪き
靜かに念を入れてその頭を母の肩の邊に押し當てゝ顏を隱し
嬉しき事あれば誰れにでも好んで接吻を求め
或は兩手を祈るやうに組み合はして口のところへ置き
持つてる物をとらうとする時
奪ひとらうとすれば爭つて離さず
手を合して頂戴をすればいそいで與へる
この本能的な動作は實にシンプルで貴い
教へられ無いでする
接吻や合掌である。
自分は子供の天性の中に
過去が現在となり未來となつて
永遠に連つて行くものを見る氣がする。
[#地から1字上げ](十一月二十四日)

  朝飯

朝、家の中に日の光りが舞ひ込んで來て
天井に輝く
その下に食卓を竝べて
妻と自分と子供と坐る。

妻は自分達の食べ物を一人で働いてよそつて呉れる
自分と子供とは待ち兼ねて手を出す
この朝は少しも寒いとは思は無い。
皆んな默つて食べ初める。靜かだ。

思はず祈りたくなる
顏に力がこもつて幸福だと默つて思ふ。
妻はいろんなものに手を出す子供をちよいちよい叱る
子供も負けて居無いで小ぜり合ひをやる
日は暖に天井で笑ひ室内に一杯になる
[#地から1字上げ](十一月二十日)

  夕暮

夕暮、日はもう沈んで
足の踏み場も無く
亂雜な地上となる。
何に躓くか分らない程暗く
すばやく背景のとりかへられる
大きな劇場の内部のごとく
自分の胸は早鐘を撞き
不思議な譯のわから無い歡喜に燃えて歩む。

自分の腕の上には子供がゐる。
子供は自分の手の上から、地上に下り度くて
もがくけれど
次々に忙しく變る景色に心を奪はれて之れも忘れ
小さな體の方向を手の上でくりくり更へて
黒眼を燃やし
餘りに近く行き交ふ人を眺め、それに交る馬や犬を見出して
天文學者が新しい星を發見したやうな奇妙な喜びに興奮して
自分に指し、叫んで、告げる。

天の一方には
久しく待れたものが滿願に達し
然かも惜し氣も無く成就されたものを燒き棄てるやうに
眞赤に燃えた巨大な雲の五六片が
亂雜に一つ所に積み重つて崩れ
その前には今にも燃え移りさうに
數本の木立が明るい反射を受けて、はつきりとそよいで立ち
葉の落ち盡した枝や梢は白熱して
灰のごとくふるへつゝ眩ゆく輝き
燃え切ればくづれ落ちるごとく立ちつくし
ずつと遠くには火の子のやうに彼方此方を星がとぶ

又見る、此方の青黒い原の上には
いつの間に此處まで來たのか
恐ろしい速力を有つて
大きな金星が餘り眞近く來て
其處にぴつたりとゞまり
逸早く先驅者の使命を完うしたやうに
清い焔のやうな熱い息をついて搖れ返り
過度の勢ひで來過ぎたやうに
少しづゝ目だた無い樣にあとじさりをし乍ら
中心を保つてらん/\と澄み渡り
その周圍の炎えるやうな空氣の中を
星を乘せて來て不用になつた魔法の翅の
雙ひ蝙蝠が
餘り遠くへ離れ無いで
地に觸れて盲のやうに夢中に歡喜して飛びめぐる。

又此方の原の上には
何處から出て來たのか
眞黒く焦げたやうな人影が
無數に入亂れ、高くなり低くなり、現はれ、消え
列をつくり
前に行く者をじれつたく思ふやうに追ひ越さうとしてのめり、
重り合つて急ぎ列を亂し、廻り道をして行く者もあり。
あらゆる方向に我れ勝ちに
不思議な力でいそぐ。

又此方の庭園の靜かな黒い木の間からは
忽然として大きな滿月が
ほとんど地に觸れて
靜かにせり上り
早くも、黄色い暖い光りは
富める家の奧深い茂みを越して
おしやべりに夢中で裏手の往來を行く
同じ年頃の氣の合つた四人の若い女工の
白い顏や地味な姿にはつきりと照りつけて
鳩の胸から出るやうな感嘆の聲を發さしめた。

かくして凡てのものが
何か完うする爲めに
いそぎ、競つて
我れ勝ちに
神の速力をもつてその任務につく
この夕暮の不思議な
前へ 次へ
全26ページ中9ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
千家 元麿 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング