愛ゆい耳をもつた胸だけ白い灰色の奴だ。
不安さうに搖られ乍ら體を女の脊中に赤ん坊のやうに寄せ掛けて
時々キーキーと啼いてゐる。
側ではし切り無しに電車が通る
深山の奧から一匹
仲間に別れて來た小猿は
ひもじいのか恐いのか眠りもしないで
寒い空氣の中で恐さうに眼を光らして居る。
二人の女猿曳は話し乍ら實にスタ/\歩いてゆく
地の上はすつかり暗くなつて
坂の向ふには建て込んだ都會の家々の間から
赤い廣告燈の上に
大きな滿月が浮び上るのに
息をつく隙も無く二人はセツセツと歩いてゆく
あたりの騷ぎにはまるで頓着無く
月の下では町の生活の呼聲が寄せては返へす波のやうに
恐ろしく聞える。
人を攫つてゆく狂氣した波だ。
その中で人間がわめいてゐる

心細い漂泊の猿よ
御前は俺のあとになり、先きになる
俺の考へてゐる内に御前は先になつてしまひ
俺が急ぐとあとになる。
今夜はどこで御前は一人で眠るのだ
どこまで行つても御前はその女主からはのがれられはしない。

筒袖をブラ/\させて懷手をして行く仲間も
胸に太鼓をぶらさげて御前をおんぶしてゆく人も見たところ貧しい、
淋しい、いゝ人らしい
御前は一人島流しになつたやうに不運だが
三人一緒に世渡りして行くのだ。
皆んな哀れな此世の道連れだ。
心細い夕暮の悲しさに小猿はキイ/\啼き
女は二人で今日のまうけの事でも話し乍ら
然し少しも調子をその爲めに弛めないで
いそいでゆく、實にいそいでゆく。どこか場末の宿へ
[#地から1字上げ](一九一七、一二、二八日)

  冬の日の入り

今日は慘しい冬の日の入り
立止つて祈る人も無い破鐘が鳴る
人々は薄れて行く寒い光の中で
歩みをとゞめ無い。
皆んな孤獨で、男も女も急がしく追はれて行く
大膽な世渡りの光景だ。

  電車の隅で

電車の隅で
本を讀んで居た
未だ暮れ無い光の中に
燈が柔くついた
長い夜の來る知らせを齎らして
走るやうに柔い光が自分の心を照らした
氣がつけば電車の中は混雜して走つてゐる。
初めて見る人計り立つたり、坐つたり、一杯だ
窓の外を見れば未だ日はくれない
日は落ちようとして苦悶してゐる
荒い冬の日の中に
見知らない人々が住む屋根が
恐ろしい色をして建て竝んでゐる。
苦るしい孤獨が
自分を再び夢の中へとり戻す
病氣の快復の希望を認めたやうに
柔い燈の下にてらされて自分は夢見る。


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