一日も終つた、もう考へる事は無い
明日は何か變化があるだらう
自分には見えるやうだ。
あの小柄の老人が
若い犯人の側に目だたない位つゝましく默つてくつついて
捨てられるのでも恐れるやうに
申し合はしたやうに、
寢床へいそいで飛び込む姿が
さうしてあの若い犯人はこゝではたしかに老人の保護者だ。
彼は老人より罪が重いから。
老人は彼を自分の子供のやうに慕ふのだ。
身も心も彼の側を離れられ無いのだ。
一人となるのはこゝでは恐いのだ。
あゝ何と云ふ美だ。
癈れた者にこの美があるのだ。
觸はつたらたまら無い美がもうもろく露骨になつてゐるのだ。
自分はもう書けない。
書かなくてもいゝ、[#地から1字上げ](十一月二日)

  雨

雨が降る、安らかに恙なく
天から地に屆く
人通りはまるで無い。自分一人だ。
店々は燈をかゝげ、人が坐り、
永遠に然うして居るものゝやうに見える。
本當にどこに恐れや暗さがある。
雨は往來にさした燈の中に美くしい姿を見せて
濛々とした薄闇の世界へ音も無く消えて行く。安らかだ。
ゴト/\と荷馬車が一臺向ふ側を通る。
實に靜かだ。音も無く雨は降る。

  小景

今日は馬鹿に寒い、雪か霙でも降り出し相だ。
出しぬけに冬が來たのだ。
日が出かけようとして出られ無いで居る。
出かけ相にしては隱れてしまふ。
人がいそぎ足に澤山通る。女と子供が多い。
皆んな饒舌つて行く、寒いのに皆んな驚いて居る。
日が出るのを一樣に期待して居る。
母親の脊中で子供が
初めて此冬に出會つた連中だらう
未だ赤ん坊臭い泣き聲がすつかりとれない
わけのわからない聲でむづかつて行く
時々男の聲も交る。
寒いので皆んな急ぎ足だ。かけ足だ。
用を足しに家を一寸明けて出た人々と云ふ氣がする。
家の中から聞いて居ると面白い。
一しきり往來は子供と女達の聲で賑はつて。
軈てまるでちがつてしまふ。
誰も通ら無くなる。
變な氣がする。そこは通り過ぎてしまつたやうに。
人類生存の一くさりだ。
どん/\變つて行く。
[#地から1字上げ](十一月七日)

  立ち話し

急いで家へ歸つて來る途中で
もう暗かつた。妻に出會つた。
二人は用を話し合つた。
妻は自分に子供を注意した
成程、見れば妻の顏のうしろに
ねんねこの蔭にしつかりと窮屈な位包れて、
枝になつた果實のやうにかつちり引きしまつた小さな顏が、
默つ
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