たに町では逢へ無い。
夜を選んで孤獨で傷ついた野犬のやうに彼は姿を見せはしない。
彼の姿が見られるのはこんな檻の中でなくてはならないのだ。
彼は恐ろしい孤獨な人間だ。癈人だ。
彼にも妻や子があるだらう。
が彼位妻や子を愛したものがあるだらうか。
自分は彼が、留置場の向ふの刑事室のある邊りで(朝であつた)
七つか八つ位の女の子が笑ふ聲を聞いて、
彼の側にかしこまつた老人に、
「子供が來てゐるね」と云つたのを忘られ無い。
俺は「子供がこの人にはあるのか」と思つた。
今度行けばどうせ十二三年は食ふのだから罪は俺が引受ける。
誰か持つてゐるならマツチを出してくれと自分で然う云つて、
涙を呑み込んで身をふるはした此の前科者に。
老人は不攝生の爲めに眼の下の腫れ上つた白い眼をむき出して
「うん」と生返事をして、
寒さうに心配でまつ青になつて溜息をついた。
あゝ哀れな老人、孤獨で、し切りに指ばかり折り數へてゐた老人
(多分刑期がきまるのを待つ爲に。
おつかない法廷に呼び出されるのを待つ爲めに)
未だ牢に馴れないと見える、何か心を苦るしめると見える、
一心に考へ事をしてゐる老人、
夜も晝も默つて、外聞も見榮も忘れて、
露骨にあり餘る心配を人に見せて、
然うして朝、人々にくるりと脊を向けて、
二三寸離れた壁の方を向いて、きちやんとかしこまつて、
一心に何か禮拜した老人、
俺はそこに老人の一家のものを浮べた、
老人の小さな家の神棚を思ひ出した。
(毎朝さうして拜んでるだらう。)
自分は又そこにいかめしい法廷の光景を見た、
然うしてこの老人の爲めに重い罪が少しぽつちでも
宥される事を願つた。
この小柄の老人が何を欲してゐる?
それは少しの同情だ。罪の輕くされる事だ、
それよりこの老人の重い重い心のつかへに
なつてゐるものがあるものか、
それより屈托する慾望があるものか、
法官よ、彼に同情してやれ、
このずる相な頬骨の出た前科者の老人に、
自分に托け切つたこの小さな老人に、
ほんの輕い罰を與へて喜ばしてやつてくれ、
彼を踏みつぶす事位わけのない事は無いのだ。
おどかすな、おびやかすな、戰々としてゐるこの生ひ先き短い老人に
二三十分過ぎてから又子供の聲がした。
若い犯人は、
「おやまだゐるね」と又老人に話しかけた。
然うして同室の人々の顏を初めて見廻した。
俺は凡てがあり/\わかつたやうに思
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