ったらしい。殊に「え」は、現代の九州および東北の方言では現代標準語のエにあたるものをすべてyeと発音するところがあるのを見れば、室町末期の西洋人がyeで写したのも当時の事実を伝えているのであろうと思われる。さすれば、平安朝のeもyeもweもFeから変じたweも、室町末にはすべてyeに帰したと考えなければならない。最初eとyeが同音に帰した時、すべてyeになったか、あるいは語頭e語頭以外yeになったろうと考えたが、その後weが、これと同音になったのは、wが脱落したためで、wiがiとなったと全く同じく、唇のはたらきがなくなったのが原因で、かような音変化はFがwに変じたのが唇の働きが弱くなり唇の合せ方が少なくなったのと同一の方向をたどるもので、それが極端になって遂に唇を全く働かせなくなったのであるが、その結果として、weはeとなるべきであるが、eという音は全くなかったためyeとなったか、またはeはあっても語頭だけにしかなかったため、語頭ではe、語頭以外ではyeとなったのであろう。そうして、室町時代においてはこれにあたるものはすべてyeになっているのは、たとい、もとは語頭の場合だけeであったと
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