世に語形を変じて濁音ではじまるようになったものである(例えば、「何処」の意味の「どこ」は、「いづこ」から出た「いどこ」の「い」が脱落して出来たもの、「誰」を意味する「だれ」は、もと「たれ」であったのが、「どれ」などに類推して「だれ」となったもの、薔薇の「ばら」は、「いばら」から転じて出来たものである。)これも、濁音ではじまる語は本来の日本語にはなかったので、濁音は語頭音には用いられなかったのである。しかしながら、漢字は古くから我が国に入っていたのであって、我が国ではその字音を学んだであろうし、殊に、藤原朝の頃からは支那人が音博士《おんはかせ》として支那語を教えたのであるから、漢字音としてl音や濁音ではじまる音を学んだであろうが、しかし、それは外国語であって、有識者は正しい発音をしたとしても、普通の国民は多分正しく発音することが出来なかったであろうと思われ、一般には、なお右のような語頭音の法則は行われたであろうと思われる。
また、アイウエオのごとき母音一つで成立つ音は語頭以外に来ることはなかった。ただし、イとウには例外がある。しかしそれは「かい[#「い」に傍線](橈)」「まう[#「う」
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