らは恐らく院政時代頃にはもう一緒になってしまったのではないかと思います。
こうなると「いろは」に現れているだけの音に関しては、今日の状態と同じで、「いろは」の中で同じ発音のものが三つあることになります。それですからこの点においては今日と同じことになります。けれども現代の日本語は、音としては「いろは」にある音だけでは足りないのであって、「いろは」を色々に組合せて書いているのであります。「キ」と「ヤ」とを合せて「キャ」と書く拗音《ようおん》というようなものもあります。かような拗音は、恐らく漢語として古くから学んだものであろうと思われますから、奈良朝においても正式に漢文を読む時には多分拗音があったろうと思います。漢文というものは、今日における英語とかドイツ語と同様に、支那語の文でありますから、支那語を学んだ奈良朝時代においては無論拗音も発音しておったろうと思われます。また支那語では「ン」に当るような音があった。すなわち「n」とか「m」とか「ng」とかいう音が語の終にあらわれますが、こういうものも無論あったと思います。これは今日我々が外国語を学ぶ時には日本語にないような音も外国語として発音します。それと同じように、当時支那語を学んでいたのでありますから、漢文の読み方を学ぶ場合には支那音で発音しておったと思われます。現に大学寮に支那人が来ておったのでありますから、そういうことはあったと思います。かような外国語式の発音が、日本語の中に普通に用いられるようになったのはいつ頃からかというと、これは非常にむずかしい問題で容易に断言は出来ませぬけれども、まず普通の言語に現れるようになったのは多分平安朝になってからであったろうと思います。殊に純粋の国語の中に、撥《は》ねる音すなわち「ン」で表わす音とか、つまる音、すなわち促音《そくおん》、そういうものが現れるようになったのは、やはり平安朝以後――平安朝には既にあったと思いますが――平安朝以後のものであろうと考えております。昔の学者は平安朝においては撥音とか促音などがなかったように考えていた人もありますけれども、これは仮名でそういうものを書く方法が発達していなかったからでもありましょう。『土佐日記』に「ししこかほよかりき」とありまして、これは死んだ子が器量好しであったという意味であります。「ししこ」と書いてあるのは「死にし子」で、「し」は過去を表わす助動詞、「死にし」が音便で「しんじ」となったものと思われます。ところがこういう場合に、仮名で書き表わすのに「ン」?\わす仮名がなかった。ですから「ン」を書かなかったと考えられます。平安朝の末でありますが、長明《ちょうめい》の『無名抄《むみょうしょう》』に、こういう書きにくい音は省いて書くとありますが、この場合も多分そうであろうと思います。それから「日記」を「にき」と書いてあるのも、これはすこぶる疑問でありまして、文字通り「ニキ」であったか「ニッキ」であったか、「ニッキ」というような促音は、これを書きあらわす方法がなかったものでありますから「にき」と書いていたのか、これは大分疑問だと思います。この「にき」は疑問ですが、平安朝の中頃には促音は多分使われたであろうと思います。また「ン」の音もあった。物語の中に「なめり」「あめり」と書いてありますが、これはこれまでの伝統的の読み方としては「ナンメリ」「アンメリ」と読んでいる。昔の註釈書には片仮名の「ン」の字が入れてあります。明治以後になって文字通りに読むのだというので「ナメリ」「アメリ」とよむようになりましたが、昔は「ナンメリ」「アンメリ」といったろうと思います。でありますから「天地の詞」の四十八とか、伊呂波歌の四十七とか、あるいはその中の同じ音を除いた四十四というものは、その当時にあったあらゆる音を代表するものではありませぬけれども、まず普通の音はそれで代表しておったと思うのであります。
こういう風にして、音から言えば普通の短音は後になるほど段々少なくなって来た。そのほかに新しく拗音や長音が出来て「キャ」「チャ」や「コー」「ソー」などの音が新に加わりましたけれども、短音は昔よりは減って来たのであります。全体の数から言えば今の方が多いのでしょうけれども、ずっと古くからあった音は段々減って来たのであります。
以上、奈良朝における諸音の実際の発音はどんなであったかというに、これはかなりむずかしい問題で、いろいろ考証が必要ですし、またまだわからない点も少なくありませんが、今日は時間がありませぬから今までの研究の結果だけを簡単に申しておくに止めたいと思います。
要点だけを申しますと、ア行の音、これは純粋の「ア」「イ」「ウ」「エ」「オ」の母音であります。ヤ行の音は「ヤ」は今と同じで、「イ」はア行の「イ」と同じことであります。「ユ」も「ヨ」も今と同じであります。違うのは「エ」が多いだけで、その発音は「イェ」(ye)であります。ワ行は、「ヰ」(wi)「ヱ」(we)「ヲ」(wo)の三つだけが今よりも多いのであります。タ行の音は「チ」「ツ」が今と違っていると思います。「チ」はti、「ツ」はtuであると思います。その濁音も、「ヂ」はdi、「ヅ」はduであったと思われます。ハ行の音は、これは明らかに今日のような「ハ、ヒ、フ、へ、ホ」でなかったのであります。今日のハヒフヘホのような音は古くから支那にあって、今でも支那および朝鮮の漢字音にそのまま残っております。例えば「上海《シャンハイ》」の「海」はhai、「漢口《ハンカオ》」の漢はhanで、大体日本の現代のハの音と同じです。かような音が古く日本へはいって来た時、もし今日のような「ハ」の音が日本にあったなら、これをそのままハと発音して、「は」にあたる仮名で書いたでしょうに、これをカの音にかえて、「海」をカイ、「漢」をカンと読み、今日まで、その音で伝わっております。そういう点から見ると、古代には、今日のハヒフヘホのような音はなかったことがわかります。それでは今日のハヒフヘホにあたる古代の音は何であったかというに、それは唇をすぼめて発する「ファ」「フィ」「フ」「フェ」「フォ」の音であったと思われます。この音が平安朝において語の中および終において「ワヰウヱヲ」の音に変ったのですが、ワ行の音はwで初まる音で、wは唇を合せて発する音ですが、唇音の「ファフィ」などの音も、やはり唇を合せて発する音で、ハ行音がワ行音にかわったのは、唇の合せ方が緩《ゆる》くなったのであります。かような点からも唇の音であったことがわかります。その後、室町時代の末においてもそうであったことは、西洋人がハ行音を<fa><fi><fu><fe><fo>と書いているのでもわかります。そうして現に日本の方言にも東北地方や沖縄の方でも出雲《いずも》地方でもハ行音を「ファフィフェ」など言うのは、昔の音が田舍《いなか》に遺《のこ》っているのです。しかし、ずっと古い時代には、ハ行音はむしろ「パ、ピ、プ、ペ、ポ」であったろうと思われるのでありまして、それが「ファフィ……」となり、更に後に今のような音になったと認められます。pピプペポと発音したのはいつであったかよく判りませぬが、奈良朝ではもうファフィフフェフォになっていたのではないかと思います。パピプペポと発音するのは、今でも沖縄の田舍に残っております。それからサ行の音でありますが、現代語では「サスセソ」の初の音はs音で、「シ」だけがshで初まります。shは「シャシュショ」の初の音と同じ音です。その古代の発音については色々の説があって、まだきまりません。「サシスセソ」とも、すべてsで初まって、「サ」「スィ」「ス」「セ」「ソ」であったとする説や、すべてshで初まって、「シャ」「シ」「シュ」「シェ」「ショ」であったとする説や、すべてts(現代のツの音の最初の音)ではじまって「ツァ」「ツィ」「ツ」「ツェ」「ツォ」であったとする説や、tsh(現代の「チ」の最初の音)ではじまって「チャ」「チ」「チュ」「チェ」「チョ」であったとする説などあります。それぞれ相当に根拠があって、実はまだ断定出来ないのであります。
それから問題になるのは、前にしばしば述べました、普通の仮名で書き分けることの出来ない音のことであります。その中、「エ」に当る二つについては既に述べましたが、残る十二の仮名に当る二十四の音の問題です。これは非常にむずかしい問題で、まだ今日において解決し尽されていないのでありまして、私自身も多少説はもっておりますが決定的のものだとは思っておりませぬ。もっと研究しなければならないと思っているのであります。例えば「キ」にあたる万葉仮名が二類にわかれており、その各類はそれぞれ違った音を表わしておったものと思われますが、その一方の音は今日と同じ「キ」の音だと思われます。もう一つの音は、後になると他の一方と同じ「キ」の音になって、その間の区別がなくなるのですから、「キ」に似た音であったろうと思いますが、或る人は「キィ」(kyi)という音であったろうという説を立てております。或る人は「クヰ[#ヰは拗音扱いで小さな仮名を使用]」(kwi)という音であったと言っております。あるいは、ki[#「i」はウムラウト](i[#「i」はウムラウト]は東北地方にあるようなイとウの間の音)という発音ではないかと言っております。私はkii[#「k」の直後の「i」はウムラウト]という音ではなかったかとも考えておりますが、これはなかなかむずかしい問題で、私も研究が完結しておりませぬから決定的のことを申上げることは出来ませぬ。
しかしこういうことを考えるについても、もう少しこれらの音がどういう場合にあらわれるかについて考えるがよかろうと思います。十三の仮名の中「エ」にあたる音の正体は既に判ったのでありますから「エ」を除いた十二の仮名について、もう少し考えておくことが必要だと思うのであります。そうして古典を読んだりする上においてもむしろその方が大切だと思います。
「キ」にあたる万葉仮名が二類に分れていると言いましたが、この「キ」が二つに分れるといったのは、今日の我々に判りやすいように言ったのであります。実際は、古代に互いに違った二つの音があった。それが後になって一つの「キ」の音になって、「き」の字で書かれているのであります。これを後世から見れば、「き」の音が、古く二つの別の音に分れていて、別の万葉仮名で書かれているということになります。古代における事実としては、そんな二つの音があったということだけでありますが、後世の我々には、「き」が二つに分れていると言った方が解しやすかろうと思います。事実は右の通りです。
さて、古代においては「キ」も「ヒ」も「ミ」もそれぞれ二つに分れているのであります。それらの音は勿論《もちろん》互いに違った別々の音であったということは判りますが、それではそれらの違った音同志の間に何らかの関係がなかったかという問題です。それについて面白いのは、文法に関したことであります。こういう仮名は、一切の場合において二つに分れているのでありまして、例えば「キ」なら「キ」は、語の初に用いられておっても終に用いられておっても中に用いられておっても、いやしくもこの「キ」が現れて来る限り、きっと「キ」にあたる二類の仮名の中のどれか一つが用いられるのです。ですから、活用する語の語尾に「キ」や「ヒ」や「ミ」が出て来ますが、その場合にもこれらの仮名の一つ一つに当る二類の中のどちらか一つがあらわれ、しかもいつもきまって同じ類のものがあらわれます。四段活用ですと、その活用語尾の中、前に述べた十二の仮名に関係のあるものはカ行とハ行とマ行であって、その活用語尾は次の通りです。
[#ここから二字下げて表]
カ行四段活用ハ行四段活用マ行四段活用[#表ここまで]
この中、「キ、ヒ、ミ」と「ケ、へ、メ」とが十二の仮名に含まれていますが、四段の連用形として用いられるのは「キ」の二類の中の一つです。仮にこれを「キ」の甲と名づけます。同様
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