ますが、普通の場合、仮名遣は発音の問題と関係して来ます。「い」と「ゐ」の区別が昔あったということは、その時代に発音が違っておった、一方は「イ」で一方は「ウィ」であったのである。音が違っておれば、仮名を区別して書くことは何でもない。それが後になって発音の区別が失われてしまうと、どちらを書くかということが問題になる。「入る」がイルであり「居る」がウィルである間は「入」は「いる[※「い」に傍線]」と書き、居は「ゐる[※「ゐ」に傍線]」と書いて決して混同することはないが、ウィが変じてイとなれば、「い」と「ゐ」も「入る」と「居る」も同音になって、「い」と「ゐ」の用法に混乱が起り、「入る」や「居る」をどちらの仮名で書くのが正しいかが疑問になり、仮名遣の問題となるのであります。かように、仮名遣は音の時代的変化と関係があり、同音の仮名が正しく使いわけられているのは、もとはその表わす音に区別があったことを反映しているのが普通の例であります。それでは、かような点に関して、龍麿は自分の見出した古代の特別の仮名遣についてどういう風に考えておったかというに、これは何か発音の区別によるものであろうというようなこと
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