出来ないので、その点で少し様子が違っているのであります。違いはただそれだけであります。平仮名・片仮名における区別が万葉仮名における区別と合わないというだけのことで、我々が同音に発音している仮名を昔の人が区別して用いているということを明らかにしたことは、龍麿も契沖と同じであります。同音の仮名の使いわけということが仮名遣の問題であるとするならば、契沖と同じく、龍麿の研究も仮名遣の研究であるといってよい訳であります。龍麿がその書に『仮名遣恷R路』と名を附けたのは、これを仮名遣の問題として考えたものと思われますが、これは正しいと言ってよいと思います。
かように、龍麿の研究は、古典における仮名の用法の研究の上から、同じ仮名だと思われていたものの中に区別があって混用しないということを見出したのであり、契沖の研究も古典の仮名の用法の研究から、同音に発音する仮名の間に区別があるということを発見したのでありますから、どちらも同じ性質のものでありますが、龍麿の見出した仮名の使いわけは、それまでは全然問題になっていなかったに対して、契沖が古典の中から見出したような同音の仮名の使いわけということは、ずっと以
前へ
次へ
全124ページ中62ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
橋本 進吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング