いる性質というよりは、その音を聴き、あるいは使う人の心の中での心理的のはたらきであります。それは言語の違うに従って違っております。我々は「サケ」と「シャケ」が間違ったら飛んでもない間違いを起しますが、アイヌ人は「サケ」も「シャケ」も音としては同じことなんです。それであるから、やはり言語によってそれぞれどういう音を同じ音とし、どういう音を違った音として聴くかというきまりがあるのであります。それで或る言語においてどれだけの音を違った音として区別するかということが大切な問題となるのであります。それは今言った通り言語の意味に関係して来る。違った語であるということは主として音によって識別し、音が違っているから違った語であるという風に考えるのが常であるからであります。
 そういう訳ですから、古典を研究し古典の意味を解釈するという場合においても、昔の人がどれだけの音を聴き分け、言い分けておったかということを知るのが大切であります。
 現在の言語においては、その音の違いということは音そのものを聴いてそれで判ります。その言語を使っている人ならば、この音とこの音は同じである。例えば口を大きくして言う「ア」
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