期に更にh音に変じたものと思われる。
鳥や獣の声であっても、これを擬した鳴声が普通の語として用いられる場合には、その当時の正常な国語の音として常に用いられる音によって表わされるのが普通である。さすれば、国語の音としてhiのような音がなかった時代においては、馬の鳴声に最も近い音としてはイ以外にないのであるから、これをイの音で摸したのは当然といわなければならない。なおまた後世には「ヒン」というが、ンの音も、古くは外国語、すなわち漢語(または梵語《ぼんご》)にはあったけれども、普通の国語の音としてはなかったので、インとはいわず、ただイといったのであろう(蜂の音を今日ではブンというのを、古くブといったのも同じ理由による)。
それでは、馬の鳴声をヒまたはヒンとしたのはいつからであろうか。これについての私の調査はまだ極めて不完全であるが、私が気づいた例の中最も古いのは『落窪物語』の文であって、同書には「面白の駒」と渾名《あだな》せられた兵部少輔《ひょうぶのすけ》について、「首いと長うて顔つき駒のやうにて鼻のいらゝぎたる事かぎりなし。ひゝと嘶《いなな》きて引放《ひきはな》れていぬべき顔したり」と述べており、駒の嘶きを「ひゝ」と写している。これは「ひ」がまだfiと発音せられた時代のものである故、それに「ヒヽ」とあるのは上の説明と矛盾するが、しかしこの文には疑いがあるのである。すなわち池田亀鑑《いけだきかん》氏の調査によれば、ここの本文が「ひゝ」とあるのは上田秋成《うえだあきなり》の校本だけであって、中村秋香《なかむらしゅうこう》の『落窪物語大成』には「ひう」とあり、伝|真淵《まぶち》自筆本には「ひと」とあり、更に九条家旧蔵本、真淵校本、千蔭《ちかげ》校本その他の諸本には皆「いう」となっている。そのいずれが原本の面目を存するものかは未だ判断し難いが、「いう」とある諸本も存する以上、これを「ひゝ」または「ひう」であると決定するのは早計であって、むしろ、現存諸本中最も書写年代の古い九条家本(室町中期の書写)その他の諸本におけるごとく、「いう」とある方が当時の音韻状態から見て正しいのであるまいかと思われる。そうして「いう」の「う」は多分現在のンのごとき音であったろうから、「いう」はヒンでなく、むしろインにあたるのである。
江戸時代に入って、鹿野武左衛門《しかのぶざえもん》の『鹿《しか
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