にその曲り角へ来た時、彼女は恰度《ちやうど》三四間向うの左手の格子戸の嵌《はま》つた家へ這入《はい》るところだつた、這入りながら彼女はふいと背後を振り返つた。道助は少し狼狽《うろた》へた。彼の姿は厭でも彼女の視線の中に入らねばならなかつたのだ。道助は仕方なく微笑んだ。それを認めたのか認めないのか彼女は無表情な顔をついと背向《そむ》けたまゝ格子戸の中へ消えてしまつた。
 道助にはその家の表札を覗きにゆく丈けの元気が無かつた。で彼はたゞ遠くから二階の障子を見凝《みつ》めてこゝはB街ではない、従つてこれは、遠野が嘘をついたのでない限り彼女の家ではないとそんなことを考へながら暫く其処に立つてゐたのだつた。
 すると驚いたことには、すぐに又その格子戸が開いて先刻のまゝのとみ子が、笑ひながら彼の方へ近寄つて来たのである。道助は不意を打たれて少し赧《あか》くなつた。
「お待ち遠さまね。」と彼女が冷かすやうに云つた。
「何も君を待つてやしないさ。」
「嘘をおつきなさい。」
「嘘ぢやない。ちよつと此の辺を散歩してたんだ。」
「何んでも好いから妾に随《つ》いていらつしやいよ。」さう云つて彼女は先に立つて、
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