一つを残しておいてその視力検査をやったのである。
 アルコホル漬けになってるのは祖父母と子夫妻であった。
「それでつまり。」と弟が兄の顔を見ながら言った。兄は少し赧《あか》くなりながら、
「つまり俺の子にも眇《すがめ》は生れないってことになるからなあ。」
「おめでたはいつでしたっけ?」
「なあに、まだまだだがね。」そして兄は硝子器の中の蜘蛛を窓から外へ抛りだした。
 弟は少し憂鬱になって試験所の外へ出た。彼は兄の幸福などよりは今年納める税金のことの方が大事だと考えた。すると今見てきた蜘蛛が頭の中をがさがさ這廻るような気がした。彼はきゅうに腹立たしくなってピッピッと唾《つば》を飛ばした。

 座敷へ帰ると、嫂《あによめ》が写真を持ってはいってきた。彼はそれを受け取ると微笑しながら机の上の手文庫の中へ抛りこんだ。文庫の中には彼の結婚の候補者の写真がいっぱいになっているのだった。
「あれですもの。」と彼女が言った。彼は硬《こわ》ばった笑いを浮べながら寝転んだ。彼女の赤い腰紐が彼の眼の先きにあった。彼は眼をつぶった。そして始終繰り返えしているヨブ記の「野驢馬あに青草あるに鳴かんや。」という言葉
前へ 次へ
全16ページ中15ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
十一谷 義三郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング