、制度に対しては社会主義が他方に在る。と、まあ、源《もと》は一つだけれども、こんな風に別れて来ていたんだ。
 社会主義を抱かせるに関係のあった露国の作家は、それは幾つもあった。ツルゲーネフの作物、就中《なかんずく》『ファーザース・エンド・チルドレン』中のバザーロフなんて男の性格は、今でも頭に染み込んでいる。その他チェルヌイシェーフスキー、ヘルツェン、それから露国の作家じゃないがラッサール、これらはよく読んだものだ。
 勿論、社会主義といったところで、当時は大真面目であったのだが、今考えると、頗《すこぶ》る幼稚なものだったのだ。例えば、政府の施政が気に喰わなんだり、親達の干渉をうるさがったり、無暗《むやみ》に自由々々と絶叫したり――まあすべての調子がこんな風であったから、無論官立の学校も虫が好かん。処へ、語学校が廃されて商業学校の語学部になる。それも僅かの間で、語学部もなくなって、その生徒は全然商業学校の生徒にされて了う。と、私はぷいと飛出して了った。その時、親達は大学に入れと頻りに勧めたが、官立の商業学校に止まらなかったと同様に、官立の大学にも入らなかった。で、終《しまい》には、親の世
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