くともなく、殆ど平行して進んでいた。が、漸く帝国主義《インペリアリズム》の熱が醒めて、文学熱のみ独り熾《さか》んになって来た。
併し、これは少しく説明を要する。
私のは、普通の文学者的に文学を愛好したというんじゃない。寧ろロシアの文学者が取扱う問題、即ち社会現象――これに対しては、東洋豪傑流の肌ではまるで頭に無かったことなんだが――を文学上から観察し、解剖し、予見したりするのが非常に趣味のあることとなったのである。で、面白いということは唯だ趣味の話に止まるが、その趣味が思想となって来たのが即ち社会主義《ソシアリズム》である。
だから、早く云って見れば、文学と接触して摩《す》れ摩れになって来るけれども、それが始めは文学に入らないで、先ず社会主義に入って来た。つまり文学趣味に激成されて社会主義になったのだ。で、社会主義ということは、実社会に対する態度をいうのだが、同時にまた、一方において、人生に対する態度、乃至は人間の運命とか何とか彼《か》とかいう哲学的趣味も起って来た。が、最初の頃は純粋に哲学的では無かった……寧ろ文明批評とでもいうようなもので、それが一方に在る。そして、現世の組織
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