そんな方面にも走った事がある。で、私の職業の変遷を述べれば、官報局の翻訳係、陸軍大学の語学教師、海軍省の編輯書記、外国語学校の露語教師なぞという順序だが、今云った国際問題等に興味を有《も》つに至って浦塩《うらじお》から満洲に入《い》り、更に蒙古に入《い》ろうとして、暫時《しばし》警務学堂に奉職していた事なんぞがある。
が、これは外面に現れた事実上の事だ。その心的方面を云うと、この無益《やくざ》な心的要素《マインドスタッフ》が何れ程まで修練を加えたらもの[#「もの」に傍点]になるか、人生に捉われずに、其を超絶する様な所まで行くか、一つやッて見よう、という心持で、幾多の活動上の方面に接触していると、自然に、人生問題なぞは苦にせずに済む。で、この方面の活動だと、ピタッと人生にはまッて了って、苦痛は苦痛だが、それに堪えられんことは無い。一層奮闘する事が出来るようになるので、私は、奮闘さえすれば何となく生き甲斐があるような心持がするんだ。
明治三十六年の七月、日露戦争が始まると云うので私は日本に帰って、今の朝日新聞社に入社した。そして奉公として「其面影」や「平凡」なぞを書いて、大分また文壇に
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