すれば其人の心持《メンタルトーン》にある。即ち孔子の如き仁者の「気象」にある。ああ云う聖人の様な心持で居たらば、死を怖れて取乱す事もあるまい。人生の苦痛に対しても然り、聖人だって苦痛は有る、が、その間に一分の余裕があって取乱さん。悠々として迫らぬ気象、即ち「仁」がある。だから思想上で人生問題の解決が付くか否か解らんが、一方で人間に「仁」の気象を養ったら、何となく人生を超絶して、一段上に出る塩梅《あんばい》で、苦痛にも何にも捉えられん、仏者の所謂自在天に入りはすまいかと考えた。
そこで、心理学の研究に入った。
古人は精神的《メンタリー》に「仁」を養ったが、我々新時代の人は物理的《フヒジカリー》に養うべきではなかろうかという考になった。
心理学、医学に次いで、生理心理学を研究し始めた。是等に関する英書は随分|蒐《あつ》めたもので、殆ど十何年間、三十歳を越すまで研究した。呉博士《くれはくし》と往復したのも、参考書類を読破しようという熱心から独逸語を独修したのも、此時だ。けれども其結果、どうも個人の力じゃ到底やり切れんと悟った。ヴントの実験室《ラボラトリー》、ジェームスの実験室《ラボラト
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