セ――作さんが着いた、作さんが、と喚《わめ》く。何処からか母が駈出して来たから、私が卒然《いきなり》、「阿父《おとっ》さんは? ……」と如何《どう》やら人の声のような皺嗄声《しゃがれごえ》で聞くと、母は妙な面《かお》をしたが、「到頭|不好《いけなか》ったよ……」というより早く泣き出した。私はハッと思うと、気が遠くなって、茫然として母が袖を顔に当《あて》て泣くのを視ていたが、ふと何だか胸が一杯になって泣こうとしたら、「まあ、彼方《あッち》へお出でなさい」、と誰だか袖を引張るから、見ると従弟《いとこ》だ。何処へ何しに行《い》くのだか、分っているような、分っていないような、変な塩梅《あんばい》だったが、私は何だか分ってる積《つもり》で、従弟《いとこ》の跟《あと》に従《つ》いて行くと、人が大勢車座になっている明かるい座敷へ来た。と、急に私は何か母に聞きたい事が有るのを忘れていたような気持がして、母は如何《どう》したろうと後《うしろ》を振向く途端に、「おお作か」、という声が俄《にわか》に寂然《しん》となった座敷の中《うち》に聞えたから、又|此方《こッち》を振向くと、其処に伯父が居るようだ。夫から私は其処へ坐って、何でも漫《やたら》に其処に居る人達に辞儀をしたようだったが、其中《そのうち》に如何《どう》いう訳だったか、伯父の側《そば》へ行く事になって、側《そば》へ行くと、伯父が「阿父《おとっ》さんも到頭|此様《こんな》になられた」、といいながら、側《そば》に臥《ね》ている人の面《かお》に掛けた白い物を取除《とりの》けたから、見ると、臥《ね》て居る人は父で、何だか目を瞑《ねむ》っている。私は其面《そのかお》を凝《じっ》と視ていた。すると、何時《いつ》の間にか母が側《そば》へ来ていて、泣声で、「息を引取る迄ね、お前に逢いたがりなすってね……」というのが聞えた。私はふッと目が覚めた、目が覚めたような心持がした。ああ、父は死んでいる……つい其処に死んでいる……骨と皮ばかりの痩果てた其死顔がつい目の前に見える。之を見ると、私は卒然として、「ああ済《すま》なかった……」と思った。此刹那に理窟はない、非凡も、平凡も、何もない。文士という肩書の無い白地《しろじ》の尋常《ただ》の人間に戻り、ああ、済《すま》なかった、という一念になり、我を忘れ、世間を忘れて、私は……私は遂に泣いた……
六十一
後で段々聞いて見ると、父は殆ど碌な療養もせずに死んだのだ。事情を知らん人は寿命だから仕方がないと言って慰めて呉れたけれど、私には如何《どう》しても然う思えなかった。全く私の不心得で、まだ三年や四年は生延びられる所をむざむざ殺して了ったように思われてならなかったから、深く年来《としごろ》の不孝を悔いて、責《せめ》て跡に残った母だけには最う苦労を掛けたくないと思い、父の葬式を済せてから、母を奉じて上京して、東京で一|戸《こ》を成した。もう斯う心機が一転しては、彼様《あん》な女に関係している気も無くなったから、女とは金で手を切って了った。其時女の素性も始めて知ったが、当人の言う所は皆|虚構《でたらめ》だった。しかし其様《そん》な事を爰《ここ》で言う必要もない。止《や》めて置く。
で、生来始て稍《やや》真面目になって再び筆硯に親しもうとしたが、もう小説も何だか馬鹿らしくて些《ちっ》とも書けない。泰西《たいせい》の名家の作を読んで見ても、矢張《やっぱり》馬鹿らしい。此様《こん》な心持で碌な物が出来る筈もないから、評判も段々落ちる、生活も困難になって来る。もう私もシュン外《はず》れだ。此処らが思切り時だろうと思って、或年意を決して文壇を去って、人の周旋で今の役所へ勤めるようになったが、其後《そのご》母の希望を容《い》れて、妻《さい》を迎え、子を生ませると、間もなく母も父の跡を追って彼世《あのよ》へ逝《い》った。
これが私の今日迄《こんにちまで》の経歴だ。
つくづく考えて見ると、夢のような一生だった。私は元来実感の人で、始終実感で心を苛《いじ》めていないと空疎になる男だ。実感で試験をせんと自分の性質すら能《よ》く分らぬ男だ。それだのに早くから文学に陥《はま》って始終空想の中《うち》に漬《つか》っていたから、人間がふやけて、秩序《だらし》がなくなって、真面目になれなかったのだ。今|稍《やや》真面目になれ得たと思うのは、全く父の死んだ時に経験した痛切な実感のお庇《かげ》で、即ち亡父の賜《たまもの》だと思う。彼《あの》実感を経験しなかったら、私は何処迄だらけて行ったか、分らない。
文学は一体|如何《どう》いう物だか、私には分らない。人の噂で聞くと、どうやら空想を性命とするもののように思われる。文学上の作品に現われる自然や人生は、仮令《たと》えば作家が直接に人生に触れ自然に触れて実感し得た所にもせよ、空想で之を再現させるからは、本物でない。写し得て真に逼《せま》っても、本物でない。本物の影で、空想の分子を含む。之に接して得《う》る所の感じには何処にか遊びがある、即ち文学上の作品にはどうしても遊戯分子《ゆうげぶんし》を含む。現実の人生や自然に接したような切実な感じの得られんのは当然《あたりまえ》だ。私が始終斯ういう感じにばかり漬《つか》っていて、実感で心を引締めなかったから、人間がだらけて、ふやけて、やくざが愈《いと》どやくざになったのは、或は必然の結果ではなかったか? 然らば高尚な純正な文学でも、こればかりに溺れては人の子も※[#「爿+戈」、第4水準2−12−83]《そこな》われる。況《いわ》んやだらしのない人間が、だらしのない物を書いているのが古今《ここん》の文壇のヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ
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二葉亭が申します。此稿本は夜店を冷かして手に入れたものでござりますが、跡は千切れてござりません。一寸お話中に電話が切れた恰好でござりますが、致方がござりません。
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底本:「平凡・私は懐疑派だ 小説・翻訳・評論集成」講談社文芸文庫、講談社
1997(平成9)年12月10日第1刷発行
底本の親本:「二葉亭四迷全集 第一巻」筑摩書房
1984(昭和59)年11月
※底本には「本書は、『二葉亭四迷全集』第一、二、三、四、七巻(昭和五十九年十一月〜平成三年十一月 筑摩書房刊)を底本として使用し、新漢字・新かなづかいにして、若干ふりがなを加えた。本文中に今日から見て不適切と思われる言葉づかいがあるが、作品の時代背景、文学的価値等を考え、著者が故人でもあるため、そのままとした。」との記載がある。
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
入力:砂場清隆
校正:松永正敏
2003年1月15日作成
青空文庫作成ファイル:
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