ニ止む。と、しばらく闃寂《ひッそ》となる――その側《そば》から、直ぐ又穏かにスウスウという音が遠方に聞え出して、其が次第に近くなり、荒くなり、又耳元で根気よくゴウ、スウ、ゴウ、スウと鳴る。
 私は夜中に滅多に目を覚した事が無いから、初は甚《ひど》く吃驚《びっくり》したが、能《よ》く研究して見ると、なに、父の鼾《いびき》なので、漸《やっ》と安心して、其儘再び眠ろうとしたが、壮《さかん》なゴウゴウスウスウが耳に附いて中々|眠付《ねつか》れない。仕方がないから、聞える儘に其音に聴入っていると、思做《おもいな》しで種々《いろいろ》に聞える。或は遠雷《とおかみなり》のように聞え、或は浪の音のようでもあり、又は火吹達磨《ひふきだるま》が火を吹いてるようにも思われれば、ゴロタ道を荷馬車が通る音のようにも思われる。と、ふと昼間見た絵本の天狗が酒宴を開いている所を憶出して、阿爺《おとっ》さんが天狗になってお囃子《はやし》を行《や》ってるのじゃないかと思うと、急に何だか薄気味《うすきび》悪くなって来て、私は頭からスポッと夜着《よぎ》を冠《かむ》って小さくなった。けれども、天狗のお囃子《はやし》は夜着の襟か
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