に及んで見ると、流石《さすが》は明治の小説家だ、性慾の発展の描写が巧《たくみ》に人生観などで潤色《じゅんしょく》されてあって、趣味がある、面白い。斯ういう順序で私の想像で堕落する病《やまい》は益《ますます》膏肓《こうこう》に入《い》って、終《つい》には西洋へ迄手を出して、ヂッケンスだ、サッカレーだ、ゾラだ、ユゴーだ、ツルゲーネフだ、トルストイだ、という人達の手を藉《か》りて、人並にしていれば、中性のインヂフェレントの性慾を無理に不自然な病的の物にして、クラフトエービングやフォレールの著書中に散見するような色情狂に想像で成済《なりす》まして、而《そう》して独り高尚がっていた。
いや、独り高尚がっていたのでない。それには同気相求めて友が幾人《いくたり》も出来た。同県人で予備門から後《のち》文科へ入《い》った男が有ったが、私は殊に其感化を受けた。ああ、皆自分が悪かったので、人を怨んでは済まないが、私は今でも此男に逢うと、何とも言えぬ厭な心持になる。儘になるなら刺違《さしちが》えて死で了いたく思う事もある。
四十三
私が感化を受けた友というのは私より一つ二つ年上で
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