ネどいうのは一つもない、又楽んでいる暇《ひま》もない。後から後からと他の学科が急立《せきた》てるから、狼狽《あわ》てて片端《かたはし》から及第のお呪《まじな》いの御符《ごふう》の積《つもり》で鵜呑《うのみ》にして、而《そう》して試験が済むと、直ぐ吐出してケロリと忘れて了う。

          二十二

 今になって考えて見ると、無意味だった。何の為に学校へ通ったのかと聞かれれば、試験の為にというより外はない。全く其頃の私の眼中には試験の外に何物も無《なか》った。試験の為に勉強し、試験の成績に一喜一憂し、如何《どん》な事でも試験に関係の無い事なら、如何《どう》なとなれと余処に見て、生命の殆ど全部を挙げて試験の上に繋《か》けていたから、若し其頃の私の生涯から試験というものを取去ったら、跡は他愛《たわい》のない烟《けむ》のような物になって了う。
 これは、しかし、私ばかりというではなかった。級友という級友が皆然うで、平生《へいぜい》の勉強家は勿論、金箔附《きんぱくつき》の不勉強家も、試験の時だけは、言合せたように、一|色《しき》に血眼《ちまなこ》になって……鵜の真似をやる、丸呑《まるのみ》に呑込めるだけ無暗《むやみ》に呑込む。尤も此連中は流石《さすが》に平生を省みて、敢て多くを望まない、責めて及第点だけは欲しいが、貰えようかと心配する、而《そう》して常は事毎に教師に抵抗して青年の意気の壮《さかん》なるに誇っていたのが、如何《どう》した機《はずみ》でか急に殊勝気《しゅしょうげ》を起し、敬礼も成る丈気を附けて丁寧にするようにして、それでも尚お危険を感ずると、運動と称して、教師の私宅へ推懸《おしか》けて行って、哀れッぽい事を言って来る。
 私は我儘者の常として、見栄坊《みえぼう》の、負嫌《まけぎらい》だったから、平生も余り不勉強の方ではなかった。無論学科が面白くてではない、学科は何時迄《いつまで》経《た》っても面白くも何ともないが、譬《たと》えば競馬へ引出された馬のようなもので、同じような青年と一つ埒入《らちない》に鼻を列べて見ると、負《まけ》るのが可厭《いや》でいきり出す、矢鱈《やたら》に無上《むしょう》にいきり出す。
 平生さえ然うだったから、況《いわん》や試験となると、宛然《さながら》の狂人《きちがい》になって、手拭を捻《ねじ》って向鉢巻《むこうはちまき》ばかりでは間怠《まだる》ッこい、氷嚢を頭へ載《のっ》けて、其上から頬冠《ほおかむ》りをして、夜《よ》の目も眠《ね》ずに、例の鵜呑《うのみ》をやる。又|鵜呑《うのみ》で大抵間に合う。間に合わんのは作文に数学|位《ぐらい》のものだが、作文は小学時代から得意の科目で、是は心配はない。心配なのは数学の奴だが、それをも無理に狼狽《あわ》てた鵜呑《うのみ》式で押徹《おしとお》そうとする、又不思議と或程度迄は押徹《おしとお》される。尤も是はかね合《あい》もので、そのかね合《あい》を外すと、落《おっ》こちる。私も未だ試験慣れのせぬ中《うち》、ふと其かね合《あい》を外して落《おッ》こちた時には、親の手前、学友の手前、流石《さすが》に面目《めんぼく》なかったから、少し学校にも厭気が差して、其時だけは一寸《ちょっと》学校教育なんぞを齷促《あくせく》して受けるのが、何となく馬鹿気た事のように思われた。が、世間を見渡すと、皆《みんな》此無意味な馬鹿気た事を平気で懸命に行《や》っている。一人として躊躇している者はない。其中で私一人|其様《そん》な事を思うのは何だか薄気味悪《うすきびわる》かったから、狼狽《あわ》てて、いや、馬鹿気ているようでも、矢張《やっぱり》必要の事なんだろうと思直《おもいなお》して、素知《そし》らん顔して、其からは落第の恥辱を雪《すす》がねば措《お》かぬと発奮し、切歯《せっし》して、扼腕《やくわん》して、果《はた》し眼《まなこ》になって、又鵜の真似を継続して行《や》った。
 鵜の真似でも何でも、試験の成績さえ良ければ、先生方も満足せられる、内でも親達が満足するから、私は其で好《い》い事と思っていた。然うして多く学んで殆ど何も得《う》る所がない中《うち》に、いつしか中学も卒業して、卒業式には知事さんも「諸君は今回卒業の名誉を荷うて……」といった。内でも赤飯《せきはん》を焚《た》いて、お目出度いお目出度いと親達が右左から私を煽《あお》がぬ許りにして呉れた。してみれば、矢張《やッぱり》名誉でお目出度いのに違いないと思って、私も大《おおい》に得意になっていた。

          二十三

 中学も卒業した。さて今後は如何《どう》するという愈《いよいよ》胸の轟く問題になった。
 まだ中学に居る頃からの宿題で、寐ても寤《さ》めても是ばかりは忘れる暇《ひま》もなかったのだが、中学を卒業してもまだ
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