、ウンというンだわ、と教えられて、じゃ、ウンと言って、可笑《おかし》くなって、不覚《つい》笑い出す。此方が勘ちゃんに頭を打《は》られるより余程《よッぽど》面白い。それに女の児《こ》はこましゃくれているから、子供でも人の家《うち》だと遠慮する。私|一人《ひとり》威張っていられる。間違って喧嘩になっても、屹度《きッと》敵手《あいて》が泣く。然うすればお祖母《ばあ》さんが謝罪《あやま》って呉れる。
 女の児《こ》と遊ぶのは無難で面白いが、併しそう毎日も遊びに来て呉れない。すると、私は退屈するから、平地《へいち》に波瀾を起して、拗《すね》て、じぶくッて、大泣に泣いて、而《そう》してお祖母《ばあ》さんに御機嫌を取って貰う。

          七

 ……が、待てよ。何ぼ自然主義だと云って、斯う如何《どう》もダラダラと書いていた日には、三十九年の半生《はんせい》を語るに、三十九年掛るかも知れない。も少し省略《はしょ》ろう。
 で、唐突ながら、祖母は病死した。
 其時の事は今に覚えているが、平常《いつも》の積《つもり》で何心なく外《そと》から帰って見ると、母が妙な顔をして奥から出て来て、常《いつ》になく小声で、お前は、まあ、何処へ行ッていたい? お祖母《ばあ》さんがお亡《なく》なンなすッたよ、という。お亡《なく》なンなすッたよが一寸《ちょっと》分らなかったが、死んだのだと聞くと、吃驚《びっくり》すると同時に、急に何だか可怕《おっかなく》なって来た。無論まだ死ぬという事が如何《どん》な事だか能《よ》くは分らなかったが、唯何となく斯う奥の知れぬ真暗な穴のような処へ入る事のように思われて、日頃から可怕《おっかな》がっていたのだが、子供も人間だから矛盾を免れない。お祖母《ばあ》さんが死んだのは可怕《おっかな》いが、その可怕《おっかな》い処を見たいような気もする。
 で、母が来いと云うから、跟《あと》に随《つ》いて怕々《こわごわ》奥へ行って見ると、父は未だ居る医者と何か話をしていたが、私の面《かお》を見るより、何処へ行って居た。もう一足早かったらなあ……と、何だか甚《ひど》く残念がって、此処へ来てお祖母《ばあ》さんにお辞儀しろという。
 改まってお祖母《ばあ》さんにお辞儀しろと言われた事は滅多に無いので、死ぬと変な事をするものだ、と思って、おッかな恟《びっく》り側《そば》へ行くと、小屏風を逆《さかさ》にした影に祖母が寝ていて、面《かお》に白い布片《きれ》が掛けてある。父が徐《しず》かに其を取除《とりの》けると、眼を閉じて少し口を開《あ》いた眠ったような祖母の面《かお》が見える……一目見ると厭な色だと思った。長いこと煩《わずら》っていたから、窶《やつ》れた顔は看慣《みな》れていたが、此様《こん》な色になっていたのを見た事がない。厭に白けて、光沢《つや》がなくて、死の影に曇っているから、顔中が何処となく薄暗い。もう家《うち》のお祖母《ばあ》さんでは無いような気がする。といって、余処《よそ》のお祖母《ばあ》さんでもないが、何だか其処に薄気味の悪い区劃《しきり》が出来て、此方《こっち》は明るくて暖かだが、向うは薄暗くて冷たいようで、何がなしに怕《こわ》かった。
「お辞儀をしないか。」
 と父に催促されて、私は莞爾々々《にこにこ》となった。何故だか知らんが、莞爾々々《にこにこ》となって、ドサンと膝を突いて、遠方からお辞儀して、急いで次の間へ逃げて来て、矢張《やっぱり》莞爾々々《にこにこ》していた。
 其中《そのうち》に親類の人達が集まって来る、お寺から坊さんが来る、其晩はお通夜《つや》で、翌日は葬式と、何だか家内《かない》が混雑《ごたごた》するのに、覩《み》る物聞く事皆珍らしいので、私は其に紛れて何とも思わなかったが、軈《やが》て葬式が済んで寺から帰って来ると、手伝の人も一人帰り二人帰りして、跡は又|家《うち》の者ばかりになる。薄暗いランプの蔭でト面《かお》を合せて見ると、お祖母《ばあ》さんが一人足りない。ああ、お祖母《ばあ》さんは先刻《さっき》穴へ入って了ったが、もう何時迄《いつまで》待ても帰って来ぬのだと思うと、急に私は悲しくなってシクシク泣出した。
 私の泣くのを見て母も泣いた。父も到頭泣いた。親子三人|向合《むかいあ》って、黙って暫く泣いていた。

          八

 祖母に死別れて悲しかったが、其頃はまだ子供だったから、十分に人間死別の悲しみを汲分け得なかった。その悲しみの底を割ったと思われるのは、其後《そののち》両親《りょうしん》に死なれた時である。
 去る者日々に疎《うと》しとは一わたりの道理で、私のような浮世の落伍者は反《かえっ》て年と共に死んだ親を慕う心が深く、厚く、濃《こまや》かになるようだ。
 去年の事だ。私は久振《ひさしぶり
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