゚られて全く収入の道が絶えたので、父も母も近頃は心細さの余り、遂に内職に観世撚《かんぜより》を撚《よ》り出したと云う。私は其頃新進作家で多少売出した頃だったから、急に気が大きくなり、それに天性の見栄坊《みえぼう》も手伝って、矢張《やっぱり》某大家のように、仮令《たとい》襟垢《えりあか》の附いた物にもせよ、兎に角羽織も着物も対《つい》の飛白《かすり》の銘仙物で、縮緬《ちりめん》の兵児帯《へこおび》をグルグル巻にし、左程《さほど》悪くもない眼に金縁眼鏡《きんぶちめがね》を掛け、原稿料を手に入れた時だけ、急に下宿の飯を不味《まず》がって、晩飯には近所の西洋料理店《レストーラント》へ行き、髭の先に麦酒《ビヤー》の泡を着けて、万丈の気※[#「陷のつくり+炎」、第3水準1−87−64]《きえん》を吐いていたのだから、両親が内職に観世撚《かんぜより》を撚《よ》るという手紙を覧《み》た時には、又|一寸《ちょっと》妙な心持がした。若し此事が夫《か》の六号活字子《ごうかつじし》の耳に入って、雪江《せっこう》の親達は観世撚《かんぜより》を撚《よ》ってるそうだ、一寸《ちょっと》珍《ちん》だね、なぞと素破抜《すっぱぬ》かれては余り名誉でないと、名誉心も手伝って、急に始末気《しまつぎ》を出し、夫《それ》からは原稿料が手に入《い》ると、直ぐ多少余分の送金もして、他《ほか》の物を撚《よ》っても、観世撚《かんぜより》だけは撚《よ》って呉れるなと言って遣《や》った。
で、此時もつい二三日|前《ぜん》に聊《いささ》かばかり原稿料が入った。先月は都合が悪くて送金しなかったから、責《せめ》て此内十円だけは送ろうと、紙入の奥に別に紙に包んで入れて置いたのが、お糸さんの事や何や角《か》やに取紛《とりまぎ》れてまだ其儘になっている。それをお糸さんの身上話を聴くと、ふと想い出して、国への送金は此次に延期し、寧《いっ》そ之をお糸さんに呈して又敬意を表そうかと思った。が、何だか其では聊《いささ》か相済まぬような気もして何となく躊躇《ちゅうちょ》せられる一方で、矢張《やっぱり》何だか切《しきり》に……こう……敬意を表したくて耐《たま》らない。で、お糸さんが軈《やが》てお燗《かん》を直して持って来て、さ、旦那、お熱い所を、と徳利《とくり》の口を向けた時だった、私は到頭|耐《たま》らなくなって、しかし何故だか節倹して、十円の半額金五円也を呈して、不覚《つい》又敬意を表して了った。
五十八
お糸さんに敬意を表して見ると、もう半端《はんぱ》になったから、国への送金は見合せていると、母から催促の手紙が来た。其中《そのうち》に何だか父の加減が悪くて医者に掛っているとかで、物入が多くて困るとかいうような事も書いてあったが、例の愚痴《ぐち》だと思って、其内に都合して送ると返事を出して置いた。其時は真《しん》に其積りで強《あなが》ち気休めではなかったのだが、彼此《かれこれ》取紛《とりまぎ》れて不覚《つい》其儘になっている一方では、五円の金は半襟二掛より効能《ききめ》があって、夫《それ》以来お糸さんが非常に優待して呉れるが嬉しい。追々|馴染《なじみ》も重なって常談《じょうだん》の一つも言うようになる。もう少しで如何《どう》にかなりそうに思えるけれど、何時迄《いつまで》経《た》っても如何《どう》にもならんので、少し焦《じ》れ出して、又欲しそうな物を買って遣《や》ったり、連出《つれだ》して甘《うま》い物を食べさせたり、種々《いろいろ》してみたが、矢張《やっぱり》同じ事で手が出せない。お糸さんという人は滅多に手を出せば、屹度《きっと》甚《ひど》い恥を掻かすけれど、一度手に入れたら、命懸けになる女だと、何故だか私は独りで極《き》めていたから、危険《けんのん》で手が出せなかったが、傍《はた》から観れば、もう余程妙に見えたと見えて、他《た》の客はワイワイいって騒ぐ。下女迄が私の部屋を覗込んでお糸さんが見えないと、奥様《おくさん》は、なぞといって調戯《からか》うようになる。こうなると、お神さんも目に余って、或時何だか厭な事をお糸さんに言ったとかで、お糸さんが憤《おこ》っていた事もある。私は何だか面白いような焦心《じれっ》たいような妙な心持がする。それで夢中になって金ばかり遣《つか》っていたから、一度申訳に聊《いささ》かばかり送金した限《ぎり》で、不覚《つい》国へは無沙汰になっている中《うち》に、父の病気が矢張《やっぱり》好くないとて母からは又送金を求めて来る。遂に伯父からも注意が来た。其時だけは私も少し気が附いて、急いで、書掛けた小説を書上げて若干《なにがし》かの原稿料を受取ったから、明日《あす》は早速送金しようと思っていた晩に、お糸さんが切《しき》りに新富座《しんとみざ》の当り狂言の噂
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