@ 四十一
其後《そのご》間もなく雪江さんのお婿さんが極《きま》った。お婿さんが極《きま》ると、私は何だか雪江さんに欺《あざむ》かれたような心持がして、口惜《くや》しくて耐《たま》らなかったから、国では大不承知であったけれど、口実を設けて体よく小狐《おぎつね》の家《うち》を出て下宿して了った。
馬鹿な事には下宿してから、雪江さんが万一《ひょッと》鬱《ふさ》いでいぬかと思って、態々《わざわざ》様子を見に行った事が二三度ある。が、雪江さんはいつも一向|鬱《ふさ》いで居なかった。反ッてお婿さんが極《きま》って怡々《いそいそ》しているようだった。それで私も愈《いよいよ》忌々《いまいま》しくなって、もう余り小狐へも足踏《あしぶみ》せぬ中《うち》に、伯父さんが去る地方の郡長に転じて、家族を引纏めて赴任して了ったので、私も終《つい》に雪江さんの事を忘れて了った。これでお終局《しまい》だ。
余り平凡だ下らない。こんなのは単純な性慾の発動というもので、恋ではない、恋はも少《ちッ》と高尚な精神的の物だと、高尚な精神的の人は言うかも知れん。然うかも知れん。唯私のような平凡な者の恋はいつも斯うだ。先ず無意識或は有意識《ゆういしき》に性慾が動いて満足を求めるから、理性や趣味性が動いて其相手を定めて、始めて其処に恋が成立する。初から性慾の動かぬ場合に恋はない。異性でも親兄弟に恋をせぬのは其為だ。青年の時分には、性慾が猛烈に動くから、往々理性や趣味性の手を待たんで、自分と盲動して撞着《ぶつか》った者を直《すぐ》相手にする。私の雪江さんに於けるが、即ち殆ど其だ。私共の恋の本体はいつも性慾だ。性慾は高尚な物ではない、が、下劣な物とも思えん。中性だ、インヂフェレントの物だ。私共の恋の下劣に見えるのは、下劣な人格が反映するので、本体の性慾が下劣であるのではない。
で、私の性慾は雪江さんに恋せぬ前から動いていた。から、些《ちッ》とも不思議でも何でもないが、雪江さんという相手を失った後《のち》も、私の恋は依然として胸に残っていた。唯相手のない恋で、相手を失って彷徨《うろうろ》している恋で、其本体は矢張《やッぱ》り満足を求めて得ぬ性慾だ。露骨に言って了えば、誠に愛想《あいそ》の尽きた話だが、此猛烈な性慾の満足を求むるのは、其時分の私の生存の目的の――全部とはいわぬが、過半であった。
これは私ばかりでない、私の友人は大抵皆然うであったから、皆此頃からポツポツ所謂《いわゆる》「遊び」を始めた。私も若し学資に余裕が有ったら、矢張《やッぱり》「遊」んだかも知れん。唯学資に余裕がなかったのと、神経質で思切った乱暴が出来なかったのとで、遊びたくも遊び得なかった。
友人達は盛《さかん》に「遊」ぶ、乱暴に無分別に「遊」ぶ。其を観ていると、羨《うらや》ましい。が、弱い性質の癖に極めて負惜しみだったから、私は一向|羨《うらや》ましそうな顔もしなかった。年長の友人が誘っても私が応ぜぬので、調戯《からかい》に、私は一人で堕落して居るのだろうというような事を言った。恥かしい次第だが、推測通りであったので、私は赫《かっ》となった。血相《けっそう》を変えて、激論を始めて、果は殴合《なぐりあい》までして、遂に其友人とは絶交して了った。
斯うして友人と喧嘩迄して見れば、意地としても最う「遊」ばれない。で、不本意ながら謹直家《きんちょくか》になって、而《そう》して何ともえたいの知れぬ、謂《いわ》れのない煩悶に囚《とら》われていた。
四十二
ああ、今日は又頭がふらふらする。此様《こん》な日にゃ碌な物は書けまいが、一日抜くも残念だ。向鉢巻《むこうはちまき》でやッつけろ!
で、私は性慾の満足を求めても得られなかったので、煩悶していた。何となく世の中が悲観されてならん。友人等は「遊」ぶ時には大《おおい》に「遊」んで、勉強する時には大《おおい》に勉強して、何の苦もなく、面白そうに、元気よく日を送っている。それを観ていると、私は癪《しゃく》に触って耐《たま》らない。私の煩悶して苦むのは何となく友人等の所為《せい》のように思われる。で、責めてもの腹慰《はらい》せに、薄志の弱行のと口を極めて友人等の公然の堕落を罵《ののし》って、而《そう》して私は独り超然として、内々《ないない》で堕落していた。若し友人等の堕落が陽性なら、私の堕落は陰性だった。友人等の堕落が露骨で、率直で、男らしいなら、私の堕落は……ああ、何と言おう? 人間の言葉で言いようがない。私は畜生《ちくしょう》だった……
が、こっそり一人で堕落するのは余り没趣味で、どうも夫《それ》では趣味性が満足せぬ。どうも矢張《やっぱり》異性の相手が欲しい。が、其相手は一寸《ちょっと》得られぬので、止むを得ず当分文学で其不
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