wすると思って辛抱して、品行を慎むは勿論、勉強も人一倍するようにという話で、聴いていても面白くも変哲もない話だから、雪江さんは話半《はなしなかば》に小さな欠《あく》びを一つして、起《た》って何処へか行って了った。私は少し本意《ほい》なかったが、やがて奥まった処で琴の音《ね》がする。雪江さんに違いない。雪江さんはまだ習い初めだと見えて、琴の音色は何だかボコン、ボコン、ベコン、ボコンというように聞えて妙だったけれど、私は鳴物は大好だ。何時《いつ》聴いても悪くないと思った。
で、遠音《とおね》に雪江さんの琴を聴きながら、主人の勘定高い話を聴いていると、琴の音が食料に搦《から》んだり、小遣に離れたりして、六円がボコン、三円でベコンというように聞えて、何だか変で、話も能《よ》く分らなかったが、分らぬ中《うち》に話は進んで、
「で、家《うち》も下女一人|外《ほか》使うて居らん。手不足じゃ。手不足の処《とこ》で君の世話をするのじゃから、客扱いにはされん。そりゃ手紙で阿父《おとッ》さんにも能《よ》う言うて上げてあるから、君も心得てるじゃろうな?」
「は。」
「からして勉強の合間には、少し家事も手伝うて貰わんと困る。なに、手伝うというても、大した事じゃない。まあ、取次|位《ぐらい》のものじゃ。まだ何ぞ角《か》ぞ他《ほか》に頼む事も有ろうが、なに、皆大した事じゃない。行《や》って貰えような?」
「は、何でも僕に出来ます事なら……」
「そ、そ、その僕が面白うない。君僕というのは同輩或は同輩以下に対《むこ》うて言う言葉で、尊長者に対《むこ》うて言うべき言葉でない、そんな事も注意して、僕といわずに私《わたくし》というて貰わんとな……」
「は……不知《つい》気が附きませんで……」
「それから、も一つ言うて置きたいのは我々の呼方じゃ。もう君の年配では伯父さん伯母さんでは可笑《おか》しい。これは東京の習慣通り、矢張|私《わし》の事は先生と言うたら好かろう。先生、此方《このかた》が御面会を願われます、先生、お使に行って参りましょう――一向|可笑《おか》しゅうない。先生というて貰おう。」
「は、承知しました。」
「で、私《わし》を先生という日になると、勢い家内の事は奥さんと言わんと権衡《けんこう》が取れん。先生に対する奥さんじゃ。な、私《わし》が先生、家内が奥さん、――宜しいか?」
「は、承知しまし
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