sた》まらなくなって私が横抱に引《ひ》ン抱《だ》く。ポチは抱かれながら、身を藻掻《もが》いて大暴れに暴れ、私の手を舐《な》め、胸を舐《な》め、顋《あご》を舐《な》め、頬《ほお》を舐《な》め、舐めても舐めても舐め足らないで、悪くすると、口まで舐《な》める。父が面《かお》を顰《しか》めて汚い汚いと曰う。成程、考えて見れば、汚いようではあるけれども……しかし、私は嬉しい、止《や》められない。如何《どう》して是が止《や》められるもんか! 私が何も好《い》い物を持っているじゃなし、ポチも其は承知で為《す》る事だ。利害の念を離れて居るのだ、唯懐かしいという刹那の心になって居るのだ。毎朝これでは着物が堪《たま》らないと、母は其を零《こぼ》すけれど、着物なんぞの汚《けが》れを厭《いと》って、ポチの此志を無にする事が出来た話だか、話でないか、其処を一つ考えて貰いたい。
 理窟は扨《さて》置いて、この面舐《かおな》めの一儀が済むと、ポチも漸《やッ》と是で気が済んだという形で、また庭先をうろうろし出して、椽の下なぞを覗いて見る。と、其処に草鞋虫《わらじむし》の一杯|依附《たか》った古草履の片足《かたし》か何ぞが有る。好《い》い物を看附けたと言いそうな面《かお》をして、其を咥《くわ》え出して来て、首を一つ掉《ふ》ると、草履は横飛にポンと飛ぶ。透《すか》さず追蒐《おっか》けて行って、又|咥《くわ》えてポンと抛《ほう》る。其様《そん》な他愛《たわい》もない事をして、活溌に元気よく遊ぶ。
 其隙《そのひま》に私は面《かお》を洗う、飯を食う。それが済むと、今度は学校《がっこう》へ行く段取になるのだが、此時が一日中で一番私の苦痛の時だ。ポチが跟《あと》を追う。うッかり出ようものなら、何処迄も何処迄も随《つ》いて来て、逐《お》ったって如何《どう》したって帰らない。こッそり出ようとしても、出掛ける時刻をチャンと知って居て、其時分になると、何時《いつ》の間にか玄関先へ廻って待っている。仕方がないから、最終《しまい》には取捉《とッつか》まえて否応《いやおう》なしに格子戸の内へ入れて置いては出るようにしていたが、然うすると前足で格子を引掻いて、悲しい悲しい血を吐きそうな啼声《なきごえ》を立てて後《あと》を慕い、姿が見えなくなっても啼止《なきや》まない。私もそれは同じ想だ。泣出しそうな面《かお》をして、バタバタ
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