ニ駆出し、声の聞えない処まで来て、漸くホッとして、普通《なみ》の歩調《あしどり》になる、而《そう》して常《いつ》も心の中《うち》で反覆《くりかえ》し反覆し此様《こん》な事を思う、
「僕が居ないと淋しいもんだから、それで彼様《あんな》に跟《あと》を追うンだ。可哀そうだなあ……僕《ぼか》ぁ学校なんぞへ行《い》きたか無いンだけど……行《い》かないと、阿父《おとっ》さんがポチを棄《す》てッ了《ちま》うッて言うもんだから、それでシヨウがないから行《い》くンだけども……」

          十五

 ジャンジャンと放課の鐘が鳴る。今迄静かだった校舎内が俄《にわか》に騒がしくなって、彼方此方《あちこち》の教室の戸が前後して慌《あわた》だしくパッパッと開《あ》く。と、その狭い口から、物の真黒な塊りがドッと廊下へ吐出され、崩れてばらばらの子供になり、我勝《われがち》に玄関脇の昇降口を目蒐《めが》けて駈出しながら、口々に何だか喚《わめ》く。只もう校舎を撼《ゆす》ってワーッという声の中《うち》に、無数の円い顔が黙って大きな口を開《あ》いて躍っているようで、何を喚《わめ》いているのか分らない。で、それが一旦昇降口へ吸込まれて、此処で又|紛々《ごたごた》と入乱れ重なり合って、腋の下から才槌頭《さいづちあたま》が偶然《ひょっ》と出たり、外歯《そっぱ》へ肱が打着《ぶつ》かったり、靴の踵《かかと》が生憎《あいにく》と霜焼《しもやけ》の足を踏んだりして、上を下へと捏返《こねかえ》した揚句に、ワッと門外《もんそと》へ押出して、東西へ散々《ぢりぢり》になる。
 仲善《なかよし》二人肩へ手を掛合って行く前に、弁当箱をポンと抛《ほう》り上げてはチョイと受けて行く頑童《いたずら》がある。其隣りは往来の石塊《いしころ》を蹴飛ばし蹴飛ばし行く。誰だか、後刻《あと》で遊びに行《い》くよ、と喚《わめ》く。蝗《いなご》を取りに行《い》かないか、という声もする。君々と呼ぶ背後《うしろ》で、馬鹿野郎と誰かが誰かを罵《ののし》る。あ、痛《い》たッ、何でい、わーい、という声が譟然《がやがや》と入違って、友達は皆道草を喰っている中を、私一人は駈脱《かけぬ》けるようにして側視《わきみ》もせずに切々《せっせ》と帰って来る。
 家《うち》の横町の角迄来て擽《くすぐッ》たいような心持になって、窃《そッ》と其方角を観る。果してポチが門
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