Sは聊《いささ》かも無い。固《もと》より玩弄物《なぐさみもの》にする気で飼ったのでないから、厭な犬だと言われる程、尚|可愛《かわ》ゆい。
「ねえ、阿母《おっか》さん此様《こん》な犬は何処へ行ったって可愛がられやしないやねえ。だから家《うち》で可愛がって遣るんだねえ。」
 と、いつも苦笑する母を無理に味方にして、調戯《からか》う父と争った。
 犬好《いぬずき》は犬が知る。私の此心はポチにも自然と感通していたらしい。其証拠には犬嫌いの父が呼んでも、ほんの一寸《ちょっと》お愛想《あいそ》に尻尾を掉《ふ》るばかりで、振向きもせんで行って了う事がある。母が呼ぶと、不断食事の世話になる人だから、又何か貰えるかと思って眼を輝かして飛んで来る、而《そう》して母の手中に其らしい物があれば、兎のように跳ねて喜ぶ。が、しかし、唯其丈の事で、其時のポチは矢張《やっぱり》犬に違いない。
 その矢張《やっぱり》犬に違いないポチが、私に対《むか》うと……犬でなくなる。それとも私が人間でなくなるのか? ……何方《どっち》だか其は分らんが、兎に角互の熱情熱愛に、人畜《にんちく》の差別《さべつ》を撥無《はつむ》して、渾然として一|如《にょ》となる。
 一|如《にょ》となる。だから、今でも時々私は犬と一緒になって此様《こん》な事を思う、ああ、儘になるなら人間の面《つら》の見えぬ処へ行って、飯を食って生きてたいと。
 犬も屹度《きっと》然う思うに違いないと思う。

          十四

 私は生来の朝寝坊だから、毎朝二度三度|覚《おこ》されても、中々起きない。優しくしていては際限がないので、母が最終《しまい》には夜着を剥《は》ぐ。これで流石《さすが》の朝寝坊も不承々々に床を離れるが、しかし大不平《だいふへい》だ。額で母を睨《にら》めて、津蟹《づがに》が泡を吐くように、沸々《ぶつぶつ》言っている。ポチは朝起だから、もう其時分には疾《とッ》くに朝飯《あさめし》も済んで、一切《ひとッき》り遊んだ所だが、私の声を聴き付けると、何処に居ても一目散に飛んで来る。
 これで私の機嫌も直る。急に現金に莞爾々々《にこにこ》となって、急いで庭へ降りる所を、ポチが透《すか》さず泥足で飛付く。細い人参程の赤ちゃけた尻尾を懸命に掉《ふ》り立って、嬉しそうに面《かお》を瞻上《みあげ》る。視下す。目と目と直《ぴっ》たりと合う。堪
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