@ 六十一
後で段々聞いて見ると、父は殆ど碌な療養もせずに死んだのだ。事情を知らん人は寿命だから仕方がないと言って慰めて呉れたけれど、私には如何《どう》しても然う思えなかった。全く私の不心得で、まだ三年や四年は生延びられる所をむざむざ殺して了ったように思われてならなかったから、深く年来《としごろ》の不孝を悔いて、責《せめ》て跡に残った母だけには最う苦労を掛けたくないと思い、父の葬式を済せてから、母を奉じて上京して、東京で一|戸《こ》を成した。もう斯う心機が一転しては、彼様《あん》な女に関係している気も無くなったから、女とは金で手を切って了った。其時女の素性も始めて知ったが、当人の言う所は皆|虚構《でたらめ》だった。しかし其様《そん》な事を爰《ここ》で言う必要もない。止《や》めて置く。
で、生来始て稍《やや》真面目になって再び筆硯に親しもうとしたが、もう小説も何だか馬鹿らしくて些《ちっ》とも書けない。泰西《たいせい》の名家の作を読んで見ても、矢張《やっぱり》馬鹿らしい。此様《こん》な心持で碌な物が出来る筈もないから、評判も段々落ちる、生活も困難になって来る。もう私もシュン外《はず》れだ。此処らが思切り時だろうと思って、或年意を決して文壇を去って、人の周旋で今の役所へ勤めるようになったが、其後《そのご》母の希望を容《い》れて、妻《さい》を迎え、子を生ませると、間もなく母も父の跡を追って彼世《あのよ》へ逝《い》った。
これが私の今日迄《こんにちまで》の経歴だ。
つくづく考えて見ると、夢のような一生だった。私は元来実感の人で、始終実感で心を苛《いじ》めていないと空疎になる男だ。実感で試験をせんと自分の性質すら能《よ》く分らぬ男だ。それだのに早くから文学に陥《はま》って始終空想の中《うち》に漬《つか》っていたから、人間がふやけて、秩序《だらし》がなくなって、真面目になれなかったのだ。今|稍《やや》真面目になれ得たと思うのは、全く父の死んだ時に経験した痛切な実感のお庇《かげ》で、即ち亡父の賜《たまもの》だと思う。彼《あの》実感を経験しなかったら、私は何処迄だらけて行ったか、分らない。
文学は一体|如何《どう》いう物だか、私には分らない。人の噂で聞くと、どうやら空想を性命とするもののように思われる。文学上の作品に現われる自然や人生は、仮令《たと》えば作家が直接
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