ノ人生に触れ自然に触れて実感し得た所にもせよ、空想で之を再現させるからは、本物でない。写し得て真に逼《せま》っても、本物でない。本物の影で、空想の分子を含む。之に接して得《う》る所の感じには何処にか遊びがある、即ち文学上の作品にはどうしても遊戯分子《ゆうげぶんし》を含む。現実の人生や自然に接したような切実な感じの得られんのは当然《あたりまえ》だ。私が始終斯ういう感じにばかり漬《つか》っていて、実感で心を引締めなかったから、人間がだらけて、ふやけて、やくざが愈《いと》どやくざになったのは、或は必然の結果ではなかったか? 然らば高尚な純正な文学でも、こればかりに溺れては人の子も※[#「爿+戈」、第4水準2−12−83]《そこな》われる。況《いわ》んやだらしのない人間が、だらしのない物を書いているのが古今《ここん》の文壇のヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ
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二葉亭が申します。此稿本は夜店を冷かして手に入れたものでござりますが、跡は千切れてござりません。一寸お話中に電話が切れた恰好でござりますが、致方がござりません。
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底本:「平凡・私は懐疑派だ 小説・翻訳・評論集成」講談社文芸文庫、講談社
1997(平成9)年12月10日第1刷発行
底本の親本:「二葉亭四迷全集 第一巻」筑摩書房
1984(昭和59)年11月
※底本には「本書は、『二葉亭四迷全集』第一、二、三、四、七巻(昭和五十九年十一月〜平成三年十一月 筑摩書房刊)を底本として使用し、新漢字・新かなづかいにして、若干ふりがなを加えた。本文中に今日から見て不適切と思われる言葉づかいがあるが、作品の時代背景、文学的価値等を考え、著者が故人でもあるため、そのままとした。」との記載がある。
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
入力:砂場清隆
校正:松永正敏
2003年1月15日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://
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