/夕」、第3水準1−14−76]々《さッさ》と行って了う。偶《たまたま》立止る者が有るかと思えば、熟《つらつ》ら視て、金持なら、うう、貧乏人だと云う、学者なら、うう、無学な奴だと云う、詩人なら、うう、俗物だと云う、而《そう》して※[#「勹/夕」、第3水準1−14−76]々《さッさ》と行って了う。平生《へいぜい》尤も親しらしい面《かお》をして親友とか何とか云っている人達でも、斯うなると寄って集《たか》って、手《て》ン手《で》ンに腹《はら》散々《さんざ》私の欠点を算え立てて、それで君は斯うなったんだ、自業自得だ、諦め玉え々々と三度|回向《えこう》して、彼方《あちら》向いて※[#「勹/夕」、第3水準1−14−76]々《さっさ》と行って了う。私は斯ういう価値の無い平凡な人間だ。それを二つとない宝のように、人に後指を差されて迄も愛して呉れたのは、生れて以来|今日迄《こんにちまで》何万人となく人に出会ったけれど、其中《そのうち》で唯祖母と父母あるばかりだ。偉い人は之を動物的の愛だとか言って擯斥《けな》されるけれど、平凡な私の身に取っては是程有難い事はない。
若し私の親達に所謂《いわゆる》教育が有ったら、斯うはなかったろう。必ず、動物的の愛なんぞは何処かの隅に窃《そっ》と蔵《しま》って置き、例の霊性の愛とかいうものを担《かつ》ぎ出《だし》て来て、薄気味悪い上眼を遣って、天から振垂《ぶらさが》った曖昧《あやふや》な理想の玉を睨《なが》めながら、親の権威を笠に被《き》ぬ面《かお》をして笠に被《き》て、其処ン処は体裁よく私を或型へ推込《おしこ》もうと企らむだろう。私は子供の天性の儘に、そんなふやけた人間が、古本《ふるぼん》なんぞと首引《くびッぴき》して、道楽半分に拵《こしら》えた、其癖|無暗《むやみ》に窮屈な型なんぞへ入る事を拒んで、隙を見て逃出そうとする。どッこいと取捉《とッつら》まえて厭がる者を無理無体に、シャモを鶏籠《とりかご》へ推込むように推込む。私は型の中で出ようと藻掻《もが》く。知らん面《かお》している。泣いて、喚《わめ》いて、引掻いて出ようとする。知らん面《かお》している。欺して出ようとする。其手に乗らない。百計尽きて、仕様がないと観念して、性を矯《た》め、情を矯《た》め、生《いき》ながら木偶《でく》の様な生気のない人間になって了えば、親達は始めて満足して、漸く善良な傾
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