昼は終日《ひねもす》夜は終夜《よもすがら》、唯その人の面影《おもかげ》而已《のみ》常に眼前《めさき》にちらついて、砧《きぬた》に映る軒の月の、払ッてもまた去りかねていながら、人の心を測りかねて、末摘花《すえつむはな》の色にも出さず、岩堰水《いわせくみず》の音にも立てず、独りクヨクヨ物をおもう、胸のうやもや、もだくだを、払うも払わぬも今一言の言葉の綾《あや》……今一言……僅《たった》一言……その一言をまだ言わぬ……折柄《おりから》ガラガラと表の格子戸《こうしど》の開《あ》く音がする……吃驚《びっくり》して文三はお勢と顔を見合わせる、蹶然《むっく》と起上《たちあが》る、転げるように部屋を駆出る。但しその晩はこれきりの事で別段にお話しなし。
翌朝に至りて両人《ふたり》の者は始めて顔を合わせる。文三はお勢よりは気まりを悪がッて口数をきかず、この夏の事務の鞅掌《いそがし》さ、暑中休暇も取れぬので匆々《そうそう》に出勤する。十二時頃に帰宅する。下坐舗《したざしき》で昼食《ちゅうじき》を済して二階の居間へ戻り、「アア熱かッた」ト風を納《い》れている所へ梯子バタバタでお勢が上《あが》ッて参り、二ツ三
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