が》めながら
「親より大切な者……親より……大切な……者……親より大切な者は私にも有りますワ」
 文三はうな垂れた頸《くび》を振揚げて
「エ、貴嬢にも有りますと」
「ハア有りますワ」
「誰《だ》……誰れが」
「人じゃアないの、アノ真理」
「真理」
 ト文三は慄然《ぶるぶる》と胴震《どうぶるい》をして唇《くちびる》を喰《く》いしめたまま暫《しば》らく無言《だんまり》、稍《やや》あッて俄《にわか》に喟然《きぜん》として歎息して、
「アア、貴嬢は清浄なものだ潔白なものだ……親より大切なものは真理……アア潔白なものだ……しかし感情という者は実に妙なものだナ、人を愚《ぐ》にしたり、人を泣かせたり笑わせたり、人をあえだり揉《もん》だりして玩弄《がんろう》する。玩弄されると薄々気が附きながらそれを制することが出来ない。アア自分ながら……」
 ト些《すこ》し考えて、稍ありて熱気《やっき》となり、
「ダガ思い切れない……どう有ッても思い切れない……お勢さん、貴嬢は御自分が潔白だからこんな事を言ッてもお解りがないかも知れんが、私には真理よりか……真理よりか大切な者があります。去年の暮から全半歳《まるはんと
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