かなく成ッて、何処ともなく落着て、優しく女性《にょしょう》らしく成ッたように見えた。或|一日《いちじつ》、お勢の何時になく眼鏡を外して頸巾《くびまき》を取ッているを怪んで文三が尋ぬれば、「それでも貴君《あなた》が、健康な者には却《かえっ》て害になると仰《おっしゃ》ッたものヲ」トいう。文三は覚えずも莞然《にっこり》、「それは至極|好《い》い事《こつ》だ」ト言ッてまた莞然。
 お勢の落着たに引替え、文三は何かそわそわし出して、出勤して事務を執りながらもお勢の事を思い続けに思い、退省の時刻を待詫《まちわ》びる。帰宅したとてもお勢の顔を見ればよし、さも無ければ落脱《がっかり》力抜けがする。「彼女《あれ》に何したのじゃアないのかしらぬ」ト或時我を疑《うたぐ》ッて、覚えずも顔を※[#「赤+報のつくり」、22−13]《あか》らめた。
 お勢の帰宅した初より、自分には気が付かぬでも文三の胸には虫が生《わい》た。なれどもその頃はまだ小さく場《ば》取らず、胸に在ッても邪魔に成らぬ而已《のみ》か、そのムズムズと蠢動《うごめ》く時は世界中が一所《ひとところ》に集る如く、又この世から極楽浄土へ往生する如く、又春
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