い》に二階を降りた。
 台所へ来て見ると、小洋燈《こランプ》が点《とぼ》しては有るがお鍋は居ない。皿|小鉢《こばち》の洗い懸けたままで打捨てて有るところを見れば、急に用が出来て遣《つかい》にでも往たものか。「奥坐舗は」と聞耳を引立てれば、ヒソヒソと私語《ささや》く声が聞える。全身の注意を耳一ツに集めて見たが、どうも聞取れない。ソコで竊《ぬす》むが如くに水を飲んで、抜足をして台所を出ようとすると、忽ち奥坐舗の障子がサッと開いた。文三は振反《ふりかい》ッて見て覚えず立止ッた。お勢が開懸《あけか》けた障子に掴《つか》まッて、出るでも無く出ないでもなく、唯|此方《こっち》へ背を向けて立在《たたず》んだままで坐舗の裏《うち》を窺《のぞ》き込んでいる。
「チョイと茲処《ここ》へお出《い》で」
 ト云うは慥《たしか》に昇の声。お勢はだらしもなく頭振《かぶ》りを振りながら、
「厭サ、あんな事をなさるから」
「モウ悪戯《いたずら》しないからお出でと云えば」
「厭」
「ヨーシ厭と云ッたネ」
「真個《ほんと》か、其処《そこ》へ往《い》きましょうか」
 ト、チョイと首を傾《かし》げた。
「ア、お出で、サア……
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