」
「チョッ解らないネー、今までの文三と文三が違います。お前にゃア免職になった事が解らないかエ」
「オヤ免職に成ッてどうしたの、文さんが人を見ると咬付《かみつ》きでもする様になったの、ヘーそう」
「な、な、な、なんだと、何とお言いだ……コレお勢、それはお前あんまりと言うもんだ、余《あんま》り親をば、ば、ば、馬鹿にすると言うもんだ」
「ば、ば、ば、馬鹿にはしません。ヘー私は条理のある所を主張するので御座います」
ト唇を反らしていうを聞くや否《いな》や、お政は忽《たちま》ち顔色を変えて手に持ッていた長羅宇《ながらう》の烟管《きせる》を席《たたみ》へ放り付け、
「エーくやしい」
ト歯を喰切《くいしば》ッて口惜《くちお》しがる。その顔を横眼でジロリと見たばかりで、お勢はすまアし切ッて座舗を立出でてしまッた。
しかしながらこれを親子|喧嘩《げんか》と思うと女丈夫の本意に負《そむ》く。どうしてどうして親子喧嘩……そんな不道徳な者でない。これはこれ辱《かたじけ》なくも難有《ありがた》くも日本文明の一原素ともなるべき新主義と時代|後《おく》れの旧主義と衝突をするところ、よくお眼を止めて御覧あられましょう。
その夜文三は断念《おもいき》ッて叔母に詫言をもうしたが、ヤ梃《てこ》ずったの梃ずらないのと言てそれはそれは……まずお政が今朝言ッた厭味に輪を懸け枝を添えて百|万陀羅《まんだら》并《なら》べ立てた上句《あげく》、お勢の親を麁末《そまつ》にするのまでを文三の罪にして難題を言懸ける。されども文三が死だ気になって諸事お容《ゆ》るされてで持切ッているに、お政もスコだれの拍子抜けという光景《きみ》で厭味の音締《ねじめ》をするように成ッたから、まず好しと思う間もなく、不図又文三の言葉|尻《じり》から燃出して以前にも立優《たちまさ》る火勢、黒烟《くろけぶり》焔々《えんえん》と顔に漲《みなぎ》るところを見てはとても鎮火しそうも無かッたのも、文三が済《すみ》ませぬの水を斟尽《くみつく》して澆《そそ》ぎかけたので次第々々に下火になって、プスプス燻《いぶり》になって、遂に不精々々に鎮火《しめ》る。文三は吻《ほっ》と一息、寸善|尺魔《せきま》の世の習い、またもや御意の変らぬ内にと、挨拶《あいさつ》も匆々《そこそこ》に起ッて坐敷を立出で二三歩すると、後《うしろ》の方《かた》でお政がさも聞えよがしの独語《ひとりごと》、
「アアアア今度《こんだ》こそは厄介《やっかい》払いかと思ッたらまた背負《しょい》込みか」
第六回 どちら着《つか》ずのちくらが沖
秋の日影も稍《やや》傾《かたぶ》いて庭の梧桐《ごとう》の影法師が背丈を伸ばす三時頃、お政は独り徒然《つくねん》と長手の火鉢《ひばち》に凭《もた》れ懸ッて、斜《ななめ》に坐りながら、火箸《ひばし》を執《とっ》て灰へ書く、楽書《いたずらがき》も倭文字《やまともじ》、牛の角文字いろいろに、心に物を思えばか、怏々《おうおう》たる顔の色、動《ややと》もすれば太息《といき》を吐いている折しも、表の格子戸《こうしど》をガラリト開けて、案内もせず這入《はい》ッて来て、隔《へだて》の障子の彼方《あなた》からヌット顔を差出して、
「今日《こんち》は」
ト挨拶《あいさつ》をした男を見れば、何処《どこ》かで見たような顔と思うも道理、文三の免職になった当日、打連れて神田見附の裏《うち》より出て来た、ソレ中背の男と言ッたその男で。今日は退省後と見えて不断着の秩父縞《ちちぶじま》の袷衣《あわせ》の上へ南部の羽織をはおり、チト疲労《くたび》れた博多の帯に袂《たもと》時計の紐《ひも》を捲付《まきつ》けて、手に土耳斯《トルコ》形の帽子を携えている。
「オヤ何人《どなた》かと思ッたらお珍らしいこと、此間《こないだ》はさっぱりお見限りですネ。マアお這入《はいん》なさいナ、それとも老婆《ばばア》ばかりじゃアお厭《いや》かネ、オホホホホホ」
「イヤ結構……結構も可笑《おか》しい、アハハハハハ。トキニ何は、内海《うつみ》は居ますか」
「ハア居ますヨ」
「それじゃちょいと逢《あっ》て来てからそれからこの間の復讐《かたきうち》だ、覚悟をしてお置きなさい」
「返討《かえりうち》じゃアないかネ」
「違いない」
ト何か判《わか》らぬ事を言ッて、中背の男は二階へ上ッてしまッた。
帰ッて来ぬ間《ま》にチョッピリこの男の小伝をと言う可《べ》きところなれども、何者の子でどんな教育を享《う》けどんな境界《きょうがい》を渡ッて来た事か、過去ッた事は山媛《やまひめ》の霞《かすみ》に籠《こも》ッておぼろおぼろ、トント判らぬ事|而已《のみ》。風聞に拠《よ》れば総角《そうかく》の頃に早く怙恃《こじ》を喪《うしな》い、寄辺渚《よるべなぎさ》の棚《たな》なし小舟《おぶね》では
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